宮沢りえ(50)の主演映画「月」の公開記念舞台あいさつが21日、東京・新宿バルト9で行われた。

席上で、脚本も担当した石井裕也監督(40)は「一時は完成及び劇場公開すら危ぶまれました」と、公開できない可能性すらあったと示唆。「ここに立つということが、とても特別な気持ちというか、いつもとは違う幸せな気持ちと誇らしい気持ちでいます」と感慨を含めた、複雑な心情を吐露した。

「月」は、相模原市で実際に起きた障がい者殺傷事件をモチーフにした作家・辺見庸氏(79)氏の小説を映画化した。同氏が事件を起こした個人を裁くのではなく、事件を生み出した社会的背景と人間存在の深部に切り込まなければならないと感じ、語られたくない事実の内部に潜ることに小説という形で挑戦。その原作を、18年「新聞記者」などを手がけたスターサンズ代表の河村光庸さんが、日本社会に長らく根付く、労働や福祉、生活の根底に流れるシステムへの問いと、複眼的に人間の尊厳を描くことに挑戦できる題材として映画化をプロデュース。監督として10代から辺見氏の作品に魅せられてきた石井監督に白羽の矢を立てた。

ただ、日刊スポーツの取材によると、配給は当初、メジャーのKADOKAWAが行うことで内定していたが、プロデューサーとして製作の先頭に立っていた河村さんが22年6月に72歳で亡くなった。さらに、河村さんが企画した映画の配給を受けたKADOKAWAのトップだった、前会長の角川歴彦被告(80)が、同年9月に東京オリンピック(五輪)汚職で逮捕、起訴された。映画の製作、公開に主導的な立場を取った2人が相次いで作品から離れてしまって以降、KADOKAWAは配給から降りた。6月30日に「月」の映画化&公開決定と、宮沢と共演の磯村勇斗(31)二階堂ふみ(29)オダギリジョー(47)らキャストを発表したが、その段階で配給は製作のスターサンズが行う形となっていた。

石井監督は「やっぱり、怖かったですよね…すごく怖かったのが、1番にあって。比喩でも誇張でも何でもなく、人類全体の問題だったので逃げられないと思った」と、製作にあたって覚悟が必要だったと明かした。さらに「おそらく、この事件というか障がい者施設の闇は、過去のあらゆる社会の闇につながる。今、ある社会問題もいくつか、頭の中にイメージしてもらえれば、この事件と、かなり近い…何か本質のようなを見つけられるんじゃないかなと思う。内にあるものこそ、捉えにいくという話にしました」と脚本開発と製作の意図を語った。

映画の冒頭には「一部の障がい者は声を上げられない」というテロップが出てくる。石井監督は「何らかの理由で告発できない、声を上げられない、閉鎖された空間で、いろいろなことを隠蔽(いんぺい)するという意味では、何も障がい者施設だけの問題じゃない。むしろ僕たちが暮らしている、かなり身近な世界の話。そういうものを描けるからこそ、この題材にトライする意味があった」と強調。「障がい者施設の内部暴露のようなものをやっても仕方がない。そこにある問題は、必ず自分たちの人生、生き方に僕はつながっていると思う。その辺を意識して書きましたね」と力を込めた。

映画には、重度の障がいを持つ当事者も出演している。石井監督はキャスティングの意図と思いを聞かれ「きれいごとに聞こえるかもしれないし、そう思われても構わないけれど今回、できる限りの取材をし、重度障がい者の方にもお会いして、僕なりにコミュニケーションを取った。そこで、生きているということの不思議さ、面白さ、幸せを強烈に感じたわけです」と説明。「そういう存在というのは多分、俳優の芝居からは絶対、出ないんじゃないか? そこにカメラを向ける、見つめることが、すごく重要だと思った。それなくして、映画は成立しないと思った」と俳優には出せない本質を、フィルムに刻み込める存在として、重度の障がいを持つ当事者の出演は必要不可欠だったと訴えた。

石井監督は、舞台あいさつの最後に「とにかく、覚悟が違うので。こんなにも苦しい舞台あいさつ、初めてですけど…見ていただければ一目瞭然。1人1人が作品、テーマに真摯(しんし)に向き合って、みんなで作り上げた。熱気が違う」と声を大にした。そして「全く、誰も手を出していないところに踏み込んでいったので、やっぱり結果的には全く新しい映画になっている自負があります。いろいろな反応、感想、賛否、意見が出て、しかるべきだと思いますし、そうなって欲しい。ものすごい強い、強烈な表現ができたという手応えはかみしめています」と訴えた。

表向きこそ冷静な表情を変えなかった石井監督だったが、少しだけ胸を張った。【村上幸将】

◆「月」 堂島洋子(宮沢りえ)は、夫の昌平(オダギリジョー)とふたりで、つつましい暮らしを営んでいる中、重度障害者施設で働き始め、光の届かない部屋で、ベッドに横たわったまま動かない、入所者の“きーちゃん”と出会う。生年月日が一緒で、どこか他人に思えず親身になっていくが、職場は決して楽園ではなく、洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにする。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくん(磯村勇斗)だ。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげ“その日”が、ついにやってくる。