流行歌や浪曲を取り入れた音曲漫才トリオ「かしまし娘」の長女、正司歌江さん(本名・平井歌江)が19日、亡くなった。94歳。所属事務所が24日、伝えた。歌江さんはヒロポン中毒を克服し、48年、次女照枝、三女花江の3姉妹で、音曲トリオを結成。芝居小屋で栄えた道頓堀にあった角座(大阪市)の看板芸人として活躍した。女優としても時代劇や現代劇、NHK連続テレビ小説「だんだん」(08~09年)にも出演した。

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昭和の演芸史を代表する看板芸人が、また1人、消えた。姉妹音曲トリオ「かしまし娘」の長女、歌江さんが亡くなった。

歌江さんは08年のNHK朝ドラ終了後、舞台出演時のポスター撮影で転倒し、腰椎を骨折するなどしたが、復帰。引退した島田紳助さんの師匠、島田洋之介・今喜多代とじっこんだったことから、紳助さんの現役時代には、たびたび、姉妹ともどもバラエティー番組にも出演していた。

古くから知る関係者によると、12年ごろまでは、テレビ出演など、活動を続けていたが、近年は体調を崩すことが増え、14年5月、急死したレツゴーじゅんさんの通夜には、車いすで参列する姿があった。

芸人仲間らによると、歌江さんは「最近は寝込むことも多くなった」と漏らしていたといい、かなりやせていた。それでも、芸人仲間で語り合ったじゅんさんの思い出話には、懐かしそうに参加していたという。

歌江さんは、両親が旅回り一座の芸人だったことから、3歳で初舞台を踏み、12歳のときには、妹の照枝と漫才を演じ、一座で旅回りしていた。歌江さんはいったん一座を離れ、56年に姉妹のもとへ戻り、かしまし娘を結成した。

後年、歌江さんは、12歳で漫才を始めたころから20歳すぎまで、約8年に渡り「ヒロポン(覚醒剤)中毒」だったことを告白している。旅回り時代、軍関係の施設へ慰問を重ね、多忙から覚醒剤へ手を出し、戦後もなかなかやめられなかったという。照枝らの協力を得て、中毒から脱し、トリオ結成にいたった。

中央の歌江さんが三味線、両脇の照枝、花江がギターを持ち、歌としゃべくりを速射砲のように“連射”し、一躍、人気者となった。姉妹ならではの遠慮のない物言いが、芸のテンポの拍車をかけ、角座の看板芸人へと成長し、66年には上方漫才大賞も獲得した。

当時を知る事務所関係者によると、3姉妹はけんが絶えず「同じ楽屋に他の芸人は入れられない」として、個室が用意されていたという。けいこ中にも口げんかが絶えなかったが、それは姉妹ゆえの近い距離感もあったようで、実際の姉妹仲は良好でもあった。

トリオの活動は81年に休止し、事務所を移籍して女優活動を本格化させていた。07年に事務所の倒産で、21年ぶりに古巣の松竹芸能へ復帰。テレビでも久々にトリオの音曲芸を披露したこともあった。

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◆正司歌江(しょうじ・うたえ)本名・平井歌江。1929年(昭4)8月13日、北海道生まれ。両親が旅役者で、3歳で初舞台。41年ごろ、妹の照枝と姉妹漫才コンビを組むが、後に解消。家族のもとを離れていたが、56年、松竹芸能に所属し、3姉妹で「かしまし娘」を結成。長女として、三味線担当。81年にトリオ活動を休止し、事務所移籍。女優としてテレビ、舞台、映画にも出演した。07年、21年ぶりに古巣の松竹芸能へ戻る。受賞は66年の上方漫才大賞、99年の文化庁長官表彰など。