落語家桂米朝さんが亡くなって10年になる。
米朝さんは1947年に4代目桂米団治に入門、3代目桂米朝を名乗った。72年に第1回上方お笑い大賞(大賞)受賞。87年に紫綬褒章受章。96年に重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。09年に文化勲章を受章。衰退していた上方落語の復興に尽力し、6代目笑福亭松鶴さん、5代目桂文枝さん、3代目桂春団治さんとともに「上方落語四天王」と呼ばれた。
1925年生まれで存命なら100歳。命日の3月19日に「米朝十年祭」(サンケイホールブリーゼ)が行われるほか、全国各地で生誕100年記念落語会や米朝展の開催など、今年はさまざまな催しが予定されている。
1月30日に米朝さんの功績をたたえる顕彰碑が、大阪・住吉大社の境内に完成し、除幕式が行われた。碑には、米朝さんが初めて住吉大社で落語会を開いた際に関係者に送った「一期一会」の言葉が刻まれた。
8日には、居を構えていた兵庫・尼崎市総合文化センター美術ホールで生誕100年・没後10年特別展「桂米朝 噺家(はなしか)の姿」が開幕した。
オープニングセレモニーでテープカットを行った息子の5代目桂米団治に話を聞くと、「米朝を知らない若い世代の人や、かつて記憶にあった人でも記憶から消えていく。『米朝って誰?』と忘れられていくのが寂しい」と10年の歳月にしんみり。
それだけに、さまざまな催しが行われることを「ありがたい」と感謝し、「10年を期に、米朝の業績、功績を多くの人に知っていただきたい」と話した。思えば、顕彰碑建立の際にも「顕彰碑はずっと残る。ここの境内には、天皇陛下がお越しになったときの記念碑とか、歌人の碑とかいろんな碑がある。住吉大社にお参りに来る楽しみが一つ増えた」と喜んでいた。
落語を愛する人たちにとっては、桂米朝という名跡の行方も気になるところだろう。
先の上方落語四天王の中で、その名を襲名し、当代が存在するのは6代桂文枝(12年襲名、前名三枝)と4代目桂春団治(18年襲名、前名春之輔)の2人。
一方で、笑福亭松鶴の名は笑福亭松葉さんが襲名する予定だったが急死(死後に7代目松鶴を追贈)。当代はいない。
桂米朝の名前も当代はいない。米朝さんの存命時に、桂吉朝さんが米団治を、桂小米朝(米団治の前名)が米朝を襲名するプランもあったそうだが、吉朝さんが50歳という若さで亡くなり立ち消え。小米朝は07年に米朝さんの師匠、自身にとって大師匠にあたる名前を継ぎ、米団治となった。
芸に対する熱意や態度、人柄など、その名にふさわしい人物がいなければ、無理に襲名させるものではないし、米朝さんの偉大すぎる功績を考えると、後進にとって、その名が重すぎる面があるのは想像に難くない。ただ、真打ち制度のある江戸落語と違い、上方落語では襲名によって先人の名前と芸を受け継ぐことで落語家としての“格”を示す側面もある。
死後10年をへて、“桂米朝”という名前をどう感じているのか。
米団治はこう話す。
「今のところ『米朝事務所』という名前もありますし、会社として今残っているから、それはそれでいい。我々がいなくなった後、それに見合う噺家(はなしか)が登場したら、多分その人が受け継ぐ。東京で言うと『三遊亭円朝』。なかなか誰も継げない名前。しかるべき人が出て、しかるべき時が来たら、米朝も復活するのかなと思う。襲名というのは本当に難しい。無理やり継がそうとしても横やりが入るときもある。あまり性急に考えずにのんびり構えたい気はします。ただ、存在は忘れられないように」
“しかるべき時”のためにも、米朝さんの功績が忘れられないように。生誕100年、没後10年を盛り上げていく。【阪口孝志】



