ワイドショーの司会で知られる落語家桂小金治さん(かつら・こきんじ、本名・田辺幹男=たなべ・みきお)が3日午後4時45分、肺炎のため川崎市内の病院で亡くなった。88歳だった。俳優としても活躍し、司会を務めた「桂小金治アフタヌーンショー」は8年も続く人気番組だった。バラエティー番組「それは秘密です!!」の司会も務め、涙もろいことから「泣きの小金治」とも呼ばれた。

 小金治さんは8月初めに体調を崩し、都内病院に救急搬送され、肺炎と診断された。熱が出て話もできない状態が続いたが、9月下旬に川崎市内の病院に移ると、看護師に冗談を言うなど病状も良くなり、長男の田辺幹さん(55)は「正月も迎えられるのでは」と思ったという。しかし10月末に肺炎が悪化。今月3日になって妻良子さん(80)の話をうなずきながら聞いていたが、良子さんが「いろいろありがとう」と言うとニコッと笑顔を見せ、直後に息を引き取ったという。田辺さんは「母も突然のことで驚いてましたが、最後を2人で迎えられて幸せだったと思います」。

 有望な二つ目落語家だった。高座を見た松竹の川島雄三監督が小金治さんにほれ込み、26歳の時、同監督の映画「こんな私じゃなかったに」で俳優デビュー。当時寄席の出演料が200円だったが、映画は1本5万円。落語家との二足のわらじを嫌い、松竹と契約して俳優業に専念した。日活移籍後、石原裕次郎さんや高橋英樹とも共演した。

 小気味のいいしゃべりもあって、66年からNET(現テレビ朝日)系ワイドショー「桂小金治アフタヌーンショー」の司会を担当。社会問題を積極的に取り上げ、政治家や官僚に対し怒りを率直に表す発言で人気を集め、「怒りの小金治」のキャッチフレーズもついた。75年から日本テレビ系「それは秘密です!!」の司会を務め、生き別れの肉親が再会する「対面コーナー」では感動のあまり号泣する姿に「泣きの小金治」と呼ばれた。

 70歳すぎから高座に復帰した。03年に国立演芸場で独演会を行い、若いころ稽古を受けた5代目柳家小さんの一門会に出演。11年に桂文我独演会で「渋酒」を演じた時、高座引退を宣言した。介護施設や老人ホームを訪問するボランティア活動や講演も続けた。田辺さんは「父なりの使命感で、笑いで楽しんでもらおうと思っていました」。最近は個人事務所も閉じ、一線から退いた。それでも病室に落語のDVDなどを持ち込み、落語への情熱は生涯変わらなかった。田辺さんは「裏表のない、喜怒哀楽がはっきりした父でした」と話した。

 ◆桂小金治(かつら・こきんじ)1926年(大15)10月6日、東京都生まれ。47年、桂小文治に入門、小竹を名乗り落語家に。49年二つ目に昇進、小金治を名乗る。52年映画「こんな私じゃなかったに」で俳優デビュー。日活時代はコメディー映画などに主演。時代劇ドラマなどに出演。66年から「アフタヌーンショー」で司会を務め、75年から日本テレビ「それは秘密です!!」でも司会を務めた。