先週、「ここまで追い詰められても、なお最高裁への特別抗告で抵抗しようとする検察」と書いた袴田事件の再審開始決定。じつはこの特別抗告をめぐって、東京高検とメディアの間で微妙な動きがあった。

東京高裁の決定直後から一部の新聞が「高検、抗告の方針」と書いたのをはじめ、抗告期限が迫るにつれ、通信社、テレビ局から「高検、抗告の構え」といった情報が流れ、私も何人かの記者に聞かれて「検察の観測気球。メディアを使って世論の反応を探っている」と答えた。結果、厳しい世論を前に検察は抗告を断念したが、私はあらためて捜査サイドとメディアのありように思いをめぐらせた。

再審開始決定を受けて検証記事を書いている新聞も多いが、経済紙なのに、といっては失礼だが、日経の紙面にはさまざま考えさせられる。

20日の紙面、「事件をめぐる初期の報道」では「『血染めの衣類』疑問呈さず」の見出しで、事件発生から1年2カ月たって発見され、今回の高裁決定でも捏造(ねつぞう)の可能性を指摘されている5点の衣類について<みそタンクからの「新証拠」の出現はそれほど不自然なのだ。にもかかわらず、本紙を含め、当時のメディアはこれに疑問を呈していない>と、自らの紙面にも厳しい目を向けている。だが、新聞は疑問を呈さなかっただけではない。当時の朝日新聞静岡版には「活気づいた検察側」の記事が見えるとしている。

こうしたことを踏まえ、日経は<(検察に)都合のよい展開。やがて死刑判決が導かれた>と振り返る。

言うまでもない。検証されるべきは警察、検察、裁判所だけでないのである。

◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。