参院議長や細川内閣の科学技術庁長官を務めた江田五月さんが7月28日、80歳で亡くなった。訃報の一報に接し、国会議員時代のあのにこやかな笑顔を思い出した。

「意外」というほかないのだが、江田さんはかつて、日刊スポーツで競馬の予想を披露したことがある。レースはもちろん、皐月賞。名前との関連は明らかだ。江田さんは5月生まれ。だから五月だったのだろうか(と勝手に思っている)。レース部の依頼を、快諾してくださった。1996年4月14日に行われた、第56回皐月賞だった。

当時、江田さんは、発足して1年半ほど経過した野党第1党、新進党の衆院議員。一方、当時の国会は、いわゆる「住専」をめぐる巨額の不良債権処理問題で大荒れ、野党は国会で追及していた。当時の政府が債権回収のために支出した予算は、実に6850億円。もちろん公的資金だ。江田さんはその予算額の数字を組み合わせ、馬連で5ー6、5ー8、6ー8の3点を予想した。

レースは、5番イシノサンデー(4番人気)が1着で制し、2着に6番ロイヤルタッチ(1番人気)が入った。江田さんは3点予想の中から5ー6、1000円を見事的中させた。同僚記者の取材に、レース前「ズバッと当てて住専予算を撃ち落としたい」と話し、的中させると「これで住専を撃ち落としたね」と、ご機嫌だったという。

その後、取材などでお目にかかる機会があるたび「日刊スポーツに、何かごちそうしないといけないね」と、笑顔で話しかけてくださった。こちらも遠慮があって実現はしなかったが、うれしそうに話していたことを思い出す。

江田さんは、私が永田町での取材を始める前から、社民連代表として知名度のある政治家だった。1993年の政権交代で誕生した細川政権で、科技庁長官(当時)として初入閣。もともとは法曹界出身。当時の新大臣インタビューで、裁判官時代に中山競馬場に行き、その時に馬券の購入経験があると話していた。そういえば、皐月賞馬券的中の時、「当たったのは30年ぶり」とも話したそう。江田五月さんに聞く、皐月賞の予想。これ以上の「適任者」はいなかったにかもしれない。

皐月賞の予想をお願いしてから約半年後、江田さんは議員を辞して、地元の岡山県知事選に出馬(落選)。知事選の取材に出かけ、備前市役所前で県政への訴えを聞いたこともある。その後、参院選を経て参院議員に復帰。参院議長を務めたほか、民主党政権では議長経験者としては異例の入閣で法相も務めた。2016年の参院選に出馬せず政界を引退。引退後は岡山で弁護士事務所を開き、弁護士としても活動していた。

江田さんを知る人によると、亡くなる1カ月前くらいまでブログでの発信を続け、1日2回更新していたこともあった。日々のなにげない生活を記したかと思うと、最近の政治の流れに言及した文も。6月28日の更新が最後だった。

政治家は、偉くなればなるほど印象が変わる方もいないわけではないが、江田さんはいつも気さくで、笑顔だった。私の永田町取材の中でも、最初のイメージが最後まで変わらない政治家だった。心よりご冥福をお祈りしたい。【中山知子】