兵庫県明石市の泉房穂(いずみ・ふさほ)市長が、来年(2023年)4月の任期満了をもって、政界を引退すると表明した。子育て政策などで、全国的に知られていた泉氏だが、市議会議員に対する暴言の責任を取って、2022年10月12日に退任表明。16日には、ツイッターの「休止」も明かした。

今、これに落胆するツイッターユーザーが多くみられる。

泉氏がツイッターを始めたのは2021年12月で、それからわずか1年弱の間に、そのツイートはたびたび議論を起こしつつも、「政治インフルエンサー」としての地位を急速に固めてきた。

泉氏のSNS発信が、他の政治家と違う点はどこにあるのか。そして、それがいかにしてネットユーザーの支持を集めてきたのか。

ここでは過去の投稿を例に挙げつつ、泉市長のSNS発信について、掘り下げていきたい。


■テレビマン、弁護士などを経て2011年に市長に

泉氏は、テレビ番組の制作スタッフを経て、弁護士に転身。衆議院議員を1期務めて、2011年に市長へ初当選し、2015年に再選した。

しかし2019年、かつての「パワハラ発言」の音声データが報じられたのを受けて辞職表明。その後の出直し選挙では、約7割の得票数で圧勝し、同年春の任期満了による市長選では、無投票で当選している。市長任期は4年のため、来春の統一地方選で、改選を迎える予定だった。

出直し選挙以降、泉氏の活動で大きな変化となったのが、ツイッターだ。2021年12月の開設から約10カ月で、すでに約37万フォロワー(以下、数値は10月17日時点)に達している。政治家のSNSアカウントで、ここまで短期間で「発信力」を高めていくものは珍しい。

参考までに紹介すると、日本維新の会前代表の松井一郎大阪市長が約43万(2010年4月開設)、れいわ新選組代表の山本太郎参院議員が約49万(2011年1月開設)と、知名度が高く、たびたびツイートが話題になる十年選手と比肩するほどのフォロワー数を、このスピードで集めたのは、極めて異例と言えるだろう。

なぜツイッターを始めたのか。2022年1月11日のツイートで「(1)説明責任を果たし(2)明石市の施策を全国に拡げ(3)自分も楽しむため」だと語っているが、周囲からの懸念を押しのけてのスタートだったという。地元・兵庫県を地盤とするサンテレビは2022年2月、泉氏にツイッターについてインタビュー。そのなかで、泉氏は以下のように振り返っていた。

「私が相談した人はほぼ100%ツイッターはやめておけと。はっきりものを言うタチですし失言も多いタイプ。周りのほぼ全員がツイッターなどしてはダメだと言った。アンチと言われる方や強い批判の方々に対してご理解をいただけるよう努力を重ねることが市長の仕事だと思っている」(2月10日のサンテレビ記事より)


事実、ハッキリものを言う性格が、裏目に出た。3月、市内に工場を持つ川崎重工業の課税情報を無許可でツイート(後に削除)したとして、4月に調査特別委員会(百条委員会)が設置され、6月に「秘密の漏洩に当たる疑いが強い」とする調査報告書が市議会で可決された。退任表明に先駆けて、市議会で問責決議案が可決されたが、理由のひとつにはこれもある。


■感情的なイメージより「ゆるさ」が目立つことも

一方で、感情的なイメージとは異なる「ゆるさ」もまた、ツイッターでは姿を見せる。地元グルメ・明石焼のお店をめぐり、どこの店か出題するクイズは泉氏の十八番で、直近は10月4日のツイートで、5200近くも「いいね」が付いた。

なぜ、泉氏のツイッターが「バズる」のか。考えられる特徴が、情報量の多さだ。

たとえば10月1日を例に取ると、肝いりの子育て政策をはじめ、税収、スポーツ、プラネタリウム、能など、市政を中心として多岐にわたるツイートを18回投稿。ツイッターの文字制限は、1投稿につき140字だが、多くの投稿は上限ギリギリまで、フル活用されている。

泉氏の暴言やパワハラは、怒りを制御する「アンガーマネジメント」ができなかったことが根幹にあると伝えられているが、ツイッターに限っては、うまくコントロールできていた印象を受ける。

ネットコミュニティーでは、売り言葉に買い言葉を際限なく繰り返す「レスバトル」が、しばしば見られる。しかし、これだけの投稿頻度ながら、泉氏のツイッター上では、さほど大きな事案が見られなかった。なぜだろうか。

ひとつ考えられるのは、字数ギリギリでの投稿が功を奏した可能性だ。筆者もよく、衝動的にツイートしたくなるが、140字ギリギリで完結させようとすると、細部の表現を工夫する必要があるため、その間に考えが整理されて、気持ちも落ち着く傾向がある。

ツイッターを始めた理由に「説明責任を果たす」ことを挙げていたのも大きいだろう。市議に対する暴言が行われた8日以降、引退表明した12日に、謝罪とともに「ツイート控えていましたが、説明責任を負っている立場ゆえ、再開します」と投稿するまで、泉氏のツイッターは沈黙し続けた。


■「説明責任」が問われやすい政治家のSNS

公式サイトによると、泉氏は大学卒業後にNHKへ入局し、ディレクターとして活躍。「NHK 630ふくしま」と書かれた背景の前に座る、若かりし日の写真も掲載されている。NHKを辞した後は「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)なども担当したという。メディアで報道に携わった経験からも、説明責任を果たすために「不確定情報は発言しない」といった、基本的な原則が身に付いていたのではないか。

くしくも昨今、確証のない情報に基づくSNS投稿が話題になっている。自民党の小林貴虎・三重県議会議員が10月2日、安倍晋三元首相の国葬をめぐり「反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだったという分析が出ているという」とツイート。小林氏は、高市早苗・経済安保担当相の講演を根拠としたが、高市氏は7日の会見で「発言はなかったです」「そもそも大陸という言葉を私、使いません」(内閣府サイトより)などと回答した。

小林氏をめぐっては17日、県議会の議会運営委員会に辞職勧告決議案が提出され、19日に採決される見通しだ。発言そのものの有無は横に置くとしても、データの出典元は明らかになっていないままである。


■泉市長がツイッターで愛され、それゆえ引退が落胆される訳

そもそもの話であるが、泉氏にとってフォロワーを含むネットユーザーは、「怒り」の対象に成りえなかったのではないか。

理想の政策を実現するうえで妨げとなる、一部の市職員・市議への憤りこそあれど、その矛先は市井の人々に向かなかった。国やメディアに対し、苦言を呈することはあっても、ネットユーザーに対してはむしろ友好的に接してきた印象だ。

2000年代前半の小泉政権時代、「抵抗勢力」が流行語になった。改革に対して障害となる守旧派を、リーダーと国民の共通敵として位置づける。そうした前例と重ねてみると、泉氏とフォロワーの関係性も、構図が似ているように思える。

泉氏のツイッターで印象的なのは「引用リツイート」の多さだ。一般ユーザーから寄せられたリプライ(返信)や、明石市に関する投稿を、私見を添えつつ紹介することで、自身が取り組む市政が対外的に評価されているとアピールできる。

また、ユーザーにとっても、遠くの存在だと思っていた「政治家」から直接反応をもらえるとなれば、より積極的にコミュニケーションを取ろうとするだろう。やりとりが活発化すればするほど、フォロワー増にもつながる。政策と信条を共有するフォロワーは、抵抗勢力と立ち向かうための味方になりうる。

泉氏は10月16日、諸般の事情を鑑みて、ツイッターを休止すると投稿したが、再開を求める声は絶えない。明石市の人口は、30万5294人(1日現在)。すでにフォロワー数は、市民のそれを超えている。

市長退任後について、泉氏は「市長を卒業し、新たな展開を図りたい」「明石市民のみならず、全国民のために自らの役割を果たしていきたい」などとツイートしてきた。

政界のインフルエンサーは、これから全国的にどんな発信をしていくのだろう。

もし実社会での暴言が続くとすれば、ツイッターでの姿は「ネコをかぶっている」と判断される。そうなれば、次第にフォロワーも離れていき、擁護の声は減っていくだろう。ネットとリアルは表裏一体なのだ。

【城戸 譲 : ネットメディア研究家】