「団塊の世代」の名付け親で、経済企画庁長官などを務め、今月8日に多臓器不全で死去した作家の堺屋太一氏の葬儀・告別式が17日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、菅義偉官房長官、石原慎太郎元都知事、小池百合子都知事ら約1000人が参列した。

菅氏や、堺屋氏が長くブレーンを務めた橋下徹前大阪市長らが弔辞を読んだ。橋下氏は冒頭から涙声で、「先生には、25年大阪万博のテープカットに立ってもらわないと困るんですよ」と言って、男泣き。「政治家橋下徹」の生みの親である堺屋氏に、「このような政治家の人生を与えてくださり、本当にありがとうございました」と、謝意を伝えた。橋下氏の弔辞の主な内容は以下の通り。

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大阪の橋下です。先生、こら、あきませんよ。先生には、2025年大阪万博のテープカットに立ってもらわないと困るんですよ。

東京の五輪の招致が盛り上がっているとき、松井さんと先生と僕で大阪の北浜のすし屋の2階で、酒をかっくらって、大阪の話をしていました。

先生が万博の話を熱く語ってくださり、池田屋みたいな雰囲気で、松井(一郎大阪府知事)さんなんか、その気になってしまって。誰も相手にしてくれなかった大阪万博の話。夢物語のような話を、松井さん、信じられないくらい頑張って、実現しちゃいましたよ。

それも、先生にテープカットに立ってもらう。その一心でやってきたんです。

本当に先生は計算がない。本当に打算のないお方でした。僕は本当に、こざかしい、計算ばかりある男ですが、その情熱とパッションが、人を、政治を、動かすことを本当に教えていただきました。

先生の話はむちゃくちゃおもしろかったですよ。歴史の話を元に、本当に堺屋ワールドに引き込まれていきました。

先生、僕を大阪府知事に最初に誘っていただいた時のことを、覚えていますか。あの時、いろいろな方から政治の誘いがあったのですが、みんな「橋下さんの利益になるよ」「政治家の権力って、こんなに大きいんだよ」と。ある国会議員なんて「大阪のアンコの部分を、橋下さんにあげるからと」、そんなばかな話ばかりだったけど、先生は、僕でも分かるような歴史の登場人物をどんどんあげて、でもみんなが知らないようなエピソードを交えて、4時間くらい話してくれた。

最後に、「歴史の転換点では、その役割を演じきる人物が必ず登場する。今の大阪では、それが橋下さんなんだよ」と。お世辞にもほどがあるような、言葉を言っていただいた。調子乗りで、単純な僕は大阪府知事選に出馬しました。

その後も先生には、優しくサポートしていただいて、ぼくが全国から猛批判をくらうようなことがあれば、「批判を受けることが政治なんだ」と。むちゃなことをやれば、「これくらいむちゃなことをやらないと、大阪は変わらない」と。行儀の悪いことをやれば、「それが橋下さんらしいんだよ」と、いつも声をかけてくださった。

僕が今ここで、真っ向(に言葉を)先生に投げつけても、それが橋下さんらしいねと、その優しい目で僕を包み込んでくださるんでしょうか。(2に続く)