宮城県丸森町の渡辺すみよさん(79)は昨年10月の台風19号で自宅が背の高さまで水に漬かった。東日本大震災で亘理町の自宅と夫の彰夫さん(当時72)を失い、夫妻の故郷に新築した家だった。「何だったんだろうな自分の人生って。もう嫌だと思った」。埼玉に住む長女(44)は「一緒に暮らそう」と誘う。しかし、渡辺さんは先月、泥を出し、消毒を終え、床や壁を張り替えた家に戻った。
11年3月11日、海から約1キロ離れた荒浜中に一足先に避難した渡辺さんは、彰夫さんの車が入って来るのを校舎の3階から見て「お父さん、3階だからね」と声を張り上げた。「分かった」と返答があったが、副区長の彰夫さんは1階で避難してきた住民の誘導を始め、2階まで達した津波にのまれた。死亡が確認されたのは3月24日だった。
「すぐに3階に上がれば助かったんだけど。見つかるまでが一番苦しかった。結婚記念日と私の誕生日が3月18日で、四国に旅行しようと、費用も全部払い込んでいたんですけど、それもかなわなかった」
丸森町出身同士、1963年(昭38)に結婚した。転勤族で、青森から福井まで赴任した夫妻が仙台支店時代、ついのすみかに選んだのが亘理だった。釣りとバードウオッチングの名所「鳥の海」のすぐ近く。
「暖かくて、朝日も夕日もきれいでね。いつも海に行って眺めてた。夏は花火大会が見えたから、庭でバーベキューをして、孫やめいっ子、おいっ子、毎年20人くらい集まってました。歩いて10分もかからない所に温泉もあるんですよ」
20年暮らし、思い出あふれる家は、災害危険区域に指定された。建て替えることはできなかった。
「復興住宅に入っても良かったんだけど、こっちの出身で主人の墓もこっちだから、年取ったら墓参りになかなか来られないと思って。ふだんはこんなに静かな所なんですよ。家を建てるとき、水なんて頭にみじんもなかったですよね」
12年7月に完成した平屋建ての家はバリアフリーで、将来、車いすが必要になっても入れるようにと浴室もトイレも広くした。役場も郵便局もスーパーも歩いて数分。とても便利で中学、高校の同級生が何かと集まった。日課は阿武隈川支流の新川の川べりの散歩。そんな平穏な日々を台風19号が襲った。
「私の身長(153センチ)まで水が入ったんです。やっと落ち着いてきたなという矢先にこれだから。人生、本当に何が起こるか分からない」
避難所から昨年暮れ、長女の元に身を寄せ、3人の孫の世話をしながら、これからを考えた。
「娘の所はみんな8時過ぎには出てしまうから、日中、お話しする人がいないですものね。ゴミ出しに行っても『おはようございます』と言って頭を下げるだけで」
2月6日、すべての家財道具がだめになった家に戻った。布団は高校の同級生が用意してくれていた。毎年3月11日、亘理町の合同追悼式に参列するのに使っていた自家用車(アルト)も水に漬かった。今年は家で手を合わせようと思っている。
「娘から毎日『いつ帰ってくるの』とメールが入ってきます。2度も悪い夢をみました。でも、ここにいようと思っています」
渡辺さんの話に舞台「女の一生」のせりふが重なった。「誰が選んでくれたのでもない。自分で選んで歩き出した道ですもの」。【中嶋文明】
◆東日本大震災・亘理町被害 午後3時52分、最大7・5メートルの津波が到達し、死者・不明者312人。町の48%(35平方キロ)が浸水した。住宅被害は6221棟(地震によるもの2616棟、津波によるもの3605棟)。渡辺さんが居住していた荒浜地区は被害が大きく、151人の死者
・不明者が出た。
◆台風19号・丸森町被害 24時間降水量588ミリの記録的豪雨で阿武隈川支流の新川など3河川が18カ所で決壊。雨水が排水できず、水路があふれる内水氾濫も起こり、244ヘクタールが浸水した。山間部では100カ所以上で土砂崩れが発生。死者・不明11人、住宅全壊113棟、床上・床下浸水1073世帯。