北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(失踪時13)の父、横田滋さんが5日に亡くなったことを受けて、母の早紀江さん(84)ら家族が都内で会見した。

常に穏やかだった滋さんが秘めていた北朝鮮への強い怒りなど、生前の思い出が語られた。ひつぎの滋さんの胸元には、再会を望み続けた愛娘を抱くように、めぐみさんの写真が置かれたという。早紀江さんは「最後まで絶対頑張る」と述べ、今後も救出活動を続けることを夫に誓ったと明かした。

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早紀江さんは息子の拓也さん(51)、哲也さん(51)と、5日に滋さんが亡くなって初めて、取材に応じた。娘の拉致から43年、ともに救出活動を続けた夫の最期に、「お父さん、天国に行けるんだからね。私が行く時は忘れず待っていてね」と耳元で語りかけた。滋さんは「目を少しあけて、うっすら涙を浮かべたようだった。眠るように亡くなっていった」という。

滋さんは97年、拉致被害者家族会初代代表に就任。全国を回り1400回以上講演を重ねた。二人三脚で闘った早紀江さんは、夫について「思い残すことがないほど全身全霊だった。ぼくとつで器用な人ではなかったが、子どものことばかり考えていた」と話した。

拓也さんは、滋さんが秘めた北朝鮮への怒りに接した思い出を語った。「お酒を飲みながら『(拉致を認めた)金正日は許せない。ボコボコにしてやりたい』と言うと、父は『それだけではすまない』と。私たちの何百倍も頭に来ていたはずだが、表に出さなかった。本当に強い父だった。目の中に入れても痛くないほど、姉をかわいがっていた。どれだけ会いたかったかと思うと、悔しくて悔しくて仕方ない」と、話した。

ひつぎには、救出活動の象徴・ブルーリボン、入院を機に口にできなくなった、好きな日本酒が納められた。胸元には、新聞記事から切り取った娘の写真。早紀江さんは「めぐみちゃんを抱っこして行ってね」と、語りかけたという。

滋さんの死は、高齢の被害者家族に残された時間をあらためて浮き彫りにしたが、早紀江さんは「どこまで頑張れるか分からないが、子どもたちの力も借りながら頑張りたい。絶対に頑張ると主人に伝えた。時間がたっても、必ず取り返す」と述べた。「行けるものなら『返して』と北朝鮮に乗り込みたい」と、怒りもにじんだ。哲也さんは「父が果たせなかった遺志を受け継いで結果を出し、墓前に解決を報告したい」と、誓った。後日、お別れの会が開かれる。【中山知子】