男子ゴルフ・マスターズ(米ジョージア州・オーガスタ・ナショナルGC)で初優勝した松山英樹(29=LEXUS)と東北福祉大在学時から親交がある、宮城県仙台市の歌手さとう宗幸(72)がゴルフ史に残る快挙を祝福した。

11年の東日本大震災発生後にマスターズに初出場し10年でつかんだ栄冠。さとうは「出場した選手が抱く10年とは全く違うものだったと思う」と心中をおもんぱかった。

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さとうは、早朝から生中継を固唾(かたず)をのんで見守った。「前日、調子が良かったから夢を見させてくれるかなと思った。17番のパーで確信した。もう、喜んで、喜んで」。興奮は冷めやらなかった。

松山が10年に日本ジュニアナショナルチームのグアム合宿を終えた足で、入学する東北福祉大のオーストラリア合宿に入った際、初めて出会った。さとうは、部の後援会役員を務めており「シャイだったけど、体が、がっしりしていた」というのが第一印象だった。

同年のアジアアマチュア選手権で優勝し、マスターズ出場を決めた松山だったが、出場1カ月前の11年3月11日に東日本大震災が発生。部の合宿先のオーストラリアから帰国し、被災地を回ったという。さとうは「阿部(靖彦)監督ともども悩んだ末、批判も覚悟し、意を決して出場したと思う。私も送ったが『出場することで東北と被災者に勇気を与えて欲しい』という激励のメールも多かった」と振り返った。

大学2年で初出場したマスターズで、松山は27位に入り、ロー・アマチュア(アマチュア選手最高成績)に輝いた。さとうは当時、阿部監督から「マスターズ委員会の関係者が、我々以上に喜んでくれた。震災で被災した東北のアマチュアだからこそ、出て欲しいという思いがあったようです」と聞かされたという。

松山は翌12年も参戦し、さとうは現地に同行。「ゴルファーの皆が夢に抱くマスターズは全然、違った。松山君の名前が一瞬、10位までのボードに出た時は狂喜乱舞した」ことは鮮明に覚えている。松山は54位に終わると、報道陣の前で悔し泣きしたが、さとうにマスターズへの具体的な思いを語ることはなかった。

そんな寡黙な松山が、マスターズ制覇後に東北の被災地への思いを口にした。「10年前、背中を押してくれた人たちに、また良い報告ができたのは良かった」。さとうは「彼にとって10年は本当に重かったと思う。オフにちょこちょこ仙台に来ているようだけど、コロナ禍でなければパレードものの快挙。ひと言…夢がかなっておめでとう」。震災発生から10年…その先の道のりを歩む被災地に勇気を与えた松山への祝福の言葉は、それで十分だった。【村上幸将】