大輪の花火が次々に打ち上がった。新型コロナウイルスがまん延した2020年から開催中止となった、日本最古の花火イベントの隅田川花火大会が29日、4年ぶりに開催された。

千葉県の4人家族は昼1時に到着し、駒形橋のたもとで30代の父親は「すごいきれいですねぇ。初めて浅草に来てびっくりしました。この花火大会は歩きながらなんですね」と疲れて眠ってしまった3歳の息子を抱きかかえながら額の汗をぬぐった。

開始は午後7時。中止前と変わらず約2万発が1時間半、夜空に輝いた。隅田川の浅草地区の桜橋と駒形橋のそれぞれ下流2カ所が打ち上げ場所になっている。それぞれの橋のたもとにはDJポリスが「この花火大会は止まったままではなく歩きながらご鑑賞ください。橋では止まらないでください」と訴えかけていた。

大会本部は当初、約95万人の人出を見込み、午後4時半ごろから周辺の車道には一般車両が進入できないよう通行禁止にするなど規制を設けていた。それでも、本部の予想をはるかに上回る約103万500人の観客が訪れた。

江戸時代の1732年(享保17)に大ききんが発生し、多くの餓死者が出て、疫病も流行した。翌1733年、徳川幕府は犠牲になった人々の慰霊と悪疫退散を祈って水神祭を行った。その余興として花火師の鍵屋が花火を打ちあげたのが、隅田川花火大会の起源とも言われている。コロナ禍で中止の年が続いたが、今年4年ぶりの再開となった現代事情とも、シンクロしている。【寺沢卓】

▼暴れん坊将軍 江戸時代に初めての花火大会を行った1733年(享保18)は、時代劇「暴れん坊将軍」のモデルにもなった8代吉宗が当世将軍に就いていた。

▼両国→浅草 大会実行委員によると、江戸時代から1961年(昭36)まで「両国の川開き」として実施されていたが、交通事情の悪化などから中断。17年後の78年から現在の浅草地区(桜橋と駒形橋のともに下流2カ所が打ち上げ地点)に場所を移して隅田川花火大会として復活した。

▼なぜ両国? かつての花火の打ち上げ場所の近くだった橋は武蔵国(現在の東京都と埼玉県および神奈川県川崎市、横浜市)と下総国(同千葉県北部と茨城県南西部および埼玉県)の国境に掛かっており、1686年(貞享3)に両方の国をつなぐ橋として「両国橋」の名がつき、その地を両国と称した歴史がある。「両国の川開き」の時代は両国橋の上流から花火を打ちあげていた。

▼花火の掛け声 花火を余興で行うことを提案した花火師鍵屋から暖簾(のれん)分けしたのが玉屋。打ち上げ花火の「たまやぁ~、かぎやぁ~」の掛け声は、当時の2大勢力だった両者の新作を競って打ちあげたことに由来する。