60年間にわたり競馬ファンのおなかと心を温めてきた名店が、今週末でのれんを下ろす。東京競馬場の立ち食いそば店「梅屋」。昨年末の有馬記念当日を最後に閉店した中山競馬場の2店舗に続き、府中の2店舗も、フェブラリーS当日の2月22日をもって営業を終える。
1960年頃、東京競馬場で店を構えたのが梅屋の始まり。シンザンがデビューする数年前、コダマやスターロツチがターフを疾走した時代から歴史を刻んだ。週末ごとに東京や中山で陣頭指揮を執ってきた田中巧さん(59)は“3代目”にあたる。おいしさの秘密について店主は「特別なことはやっていない」と笑うが、さば、宗太がつお、本がつおの3種類でだしを取ったつゆは絶妙な味わい。かつて大レースのときには「うどんとそばを合わせて1000杯ぐらいは出た」。コロナ禍を経てG1で入場制限が掛かるようになった今も600~700杯は出るという。サイドメニューのもつ煮込みも、中山競馬場グルメグランプリに輝いた逸品だ。当初は中山限定だったが、ファンの要望に応えて東京でも提供されるようになった。
大の競馬ファンとして知られる落語家の立川志らくさんは、同店の人気メニューである「肉南そば」を愛してきた。これまでテレビや新聞などで同店を何度も紹介。その新聞コラムの切り抜きは、いまでも梅屋の店頭に飾られている。
志らく師匠は2月1日、自身のSNSで、梅屋の思い出を熱くつづった。初めて新聞コラムで取り上げたあと、「梅屋の社長がうちの事務所まで雨の中ひとりで沢山のお土産を持ってお礼に来てくれた」と明かす。その際に受け取った「志らくさん永久無料券」は、馬券で勝っても負けても「自分のお金で食べるという信念」から利用しなかった。「だけど何かのタイミングで使おうと考えていたのに。まさか店がなくなるなんて」とさびしがった。そして「私の中では梅屋がなくなるというのは、競馬がなくなってしまうのと同じくらいの衝撃なのです」と惜別の言葉を送った。
梅屋の店頭に、閉店の告知が貼られたのは11月。同じ頃、3代目店主の田中さんは志らく師匠に手紙を出した。「長くお世話になった方。店を閉じることにしましたと、やっぱりお知らせしたいなと思って」。だからこそ、SNSでのメッセージに「ありがたい」と実感を込める。当時の社長が、志らく師匠の事務所を訪れたことについては「先代のことなので、詳しくは分からないのですが」としたうえで、「初めてコラムで取り上げていただいたとき、先代は『大変なことになった』と興奮していました」と懐かしんだ。
多くのファンに愛されてきた、行列ができる人気店。なぜ店を閉じることになったのか。田中さんは「人手不足が一番の理由。私の力が足りず、スタッフを集められませんでした」。パート従業員は高齢化し、新規スタッフはなかなか定着しない時代。スキマバイトアプリなどを活用しての求人も検討したものの「ぱっと来て、ぱっとやれるような職場でもないし…」と静かに語る。
最後の営業日が近づいている。特別な感情が大きくなってきたかと尋ねられた田中さんは、「もう決めたことなので」とさらり。それでも告知を出したあと、声をかけられることが増えたと感じている。「梅屋のそばを30年以上食べてきました」「最初は親に連れられて来たけれど、大人になった今も通っています」-。長い歴史を持つ老舗店だからこそ、訪問客の記憶も深い。3代目店主は、しみじみ口にする。「これだけ長くやってこられたのは、競馬ファンの皆さんのおかげです」。60年分の感謝の思いを込めて、最後の一杯まで変わらぬ味を届けつづける。【奥岡幹浩】

