甲子園球場一塁側アルプスのPL学園(大阪)応援席に「希望」「輝け」「未来」の人文字が浮かび上がった。1995年3月25日に開幕した第67回選抜高校野球大会。同年1月17日に阪神・淡路大震災が起き、開催すら危ぶまれたセンバツだった。未曽有の災害で人々が心に深い傷を負い、慣れ親しんだ町並みも奪われた被災地へのメッセージだった。

「応援団の人文字には、選手たちが一番、力をもらっていました」。当時のPL学園監督、中村順司(名古屋商科大総監督)は語る。ナインを鼓舞した言葉の力をその日、応援団は被災地への祈りに変えた。甲子園の人文字の元祖といわれたPL学園の真骨頂。62年の第34回選抜大会で、PL学園と人文字は甲子園にデビューした。初の人文字を作っていたのが、4月の入学を控えた中村だった。

55年に開学したPL学園の建学の精神は「勉学は東大、野球は甲子園」。何をするにしても最上を目指す意気込みが表れる。甲子園初出場を果たした野球部の応援も、独創性を目指した。紺の学生服と白の体操服で作る「P」が最初の人文字だった。さらに道具を使って、色を変えた。

中村 最初は2本の旗を持ったんです。裏表違う色で、黄色、赤、白、青と計4色。笛の合図で裏に返したりしながら人文字を作った。中・高500~600人くらいの規模でした。

体育館に集まっての猛練習で、タイミングや色を間違えると「おい、そこ、違う!」と厳しい声が飛んだ。それでも参加する生徒は夢中だった。

中村 甲子園に行くだけでみんな大喜び。当時は旅館に泊まったんですが、差し入れがたくさん届いて。ぼくは初めてコーラという飲み物を知りました。

野球部が甲子園の常連となる中、人文字も洗練されていった。旗はカラーブックに変わり、人文字の図案作成にコンピューターも導入された。青、白など7色の厚紙で作ったカラーブックと各自異なる指示表が、座席に置かれた。合図に合わせ、指示表にそってカラーブックをめくり「PL」から「打て」など一瞬のうちに異なるメッセージに変換。優勝時には「We are No・1」と“長文”も登場した。全国クラスの強豪バトン部が周囲を彩り、ブラスバンド部がクイーンの「We Will Rock You」やオリジナルの「ビクトリー」などの勇壮な楽曲で盛り上げた。甲子園の華ともいえるPL学園の応援は、多くの強豪校に影響を与えた。

PL教団の2代目教祖・御木徳近は野球を通じ「世界平和」を訴えた。世のため、人のためのPL野球を目指す中、アルプスの応援も不可欠だった。

思いを体現したのが、95年春に登場した「希望」「輝け」「未来」だろう。被災した近隣住民への配慮で、はなやかさを極力抑えた大会になった。だがPL学園は開催が決まった直後から、被災地に届けるメッセージを試行錯誤。学校の枠を超えた激励、再生への思いを、人文字で浮かび上がらせた。(敬称略)【堀まどか】

(2018年4月19日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)