2007年3月、アマチュア球界の“根っこ”に潜んでいた問題が表面化した。西武スカウトがアマ2選手に「栄養費」の名目で金銭を渡していた裏金問題が発覚。1人には専大北上(岩手)から早大に進学の際、西武入団の覚書にサインさせていた。

事態はここから急展開を見せた。日本高野連が専大北上を事情聴取すると、日本学生野球憲章に反する、学費免除などの優遇を得ている「特待生」の存在が判明。同校は4月16日に硬式野球部を解散し、同好会になる事態に発展した(6月1日に高野連に再加盟)。

高野連は本格的にスポーツ特待制度の実態調査に乗り出した。5月3日に特待生待遇を受けている学生が376校で7971人もいると発表。第三者機関で構成された「特待生問題有識者会議」は6回実施され、自民党も特待生問題を議論する高校野球特待制度問題小委員会を立ち上げるなど社会問題にまで発展した。

「特待生」問題のはじまりは昭和初期にさかのぼる。1932年(昭7)に文部省が「野球統制令」を発令。同年に出版された「野球統制の話」(山川建著)には「野球の優秀なるの故を以て入学の便を与えたり、或は生活費を授けて迄も入学を勧誘する選手争奪の弊害があるが為に、漸次に斯様な者迄も生ずるに至つたのであります。吾々はこの苦々しい事実を知つた以上は、是非ともその弊害の根源を明かにし、それに向かつて一日も早く之を一掃すべく努力しなければならぬ」という記載がある。当時は野球が浸透して人気が高まり、勝利を求めて学生選手の引き抜きが起きはじめていた。「野球は教育の一環」という思想を再確認しつつ「学生野球とは」を示す指針が必要だった。

それが現代にも引き継がれている。1946年に制定されたのが「日本学生野球憲章」。第13条では、野球部員を理由に学費や生活費などの金品を受けることや、プロ球団などからの契約金の前渡しなどを禁じている。だが、野球部を強くすることで知名度を上げたい高校側の思いと、生活面の援助で金銭面の負担を軽減させたい親の思いが重なることで、“青田買い”と呼ばれる金銭が絡んだスカウト活動が行われている現状が浮き彫りになった。07年11月、高野連は09年度以降は「各学年5人以下が望ましい」などの条件付きで野球特待制度を容認することを決定。3年間の実態調査を踏まえ、11年5月に野球特待生制度を制定した。

制定から、もうすぐ7年がたつ。対象となるアマ野球の現場は今でも複雑な心境を抱えているようだ。取材に「匿名でなら」と応じる人が多いところに、この制度にデリケートな部分が残っていることがかいま見えた。全国大会の優勝経験もある中学野球の指導者は「特待生制度を目指して野球をやる子供はいません。みんなうまくなりたいから頑張るんです。結果的にそういう選手になれたのなら、努力の成果なのでいいのではないでしょうか」。関東の強豪校に特待生制度で入学した子を持つ親は「子供が一生懸命頑張って強いチームで野球をしたいという夢がかなったのは、親としてはうれしいことです。金銭面で言えば、正直、助かります」と感謝する。

特待生問題の発覚時、日本高野連の参事だった田名部和裕氏は「入り口、出口の話があるんですけど、今の規則は入り口で締めているんですね。僕たちは出口で締めたかったんです。要するに、選手の登録に3人以上はダメとか」と思い返した。夏の甲子園は100回を数えるが、未来の高校球児が楽しく野球ができる環境を整備する議論に、終わりはない。【浜本卓也】

(2018年4月24日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)