1969年(昭44)8月18日、第51回全国高校野球選手権大会決勝は、松山商(愛媛)三沢(青森)ともに無得点のまま延長戦に突入した。三沢・太田と松山商・井上明の両エースによる投手戦が続いていた。三沢の一塁手だった菊池弘義は緊迫の一戦を述懐する。

菊池 エラーしちゃいけない。仲間の足を引っ張っちゃいけない。その緊張感の繰り返しだった。今の選手はよく「楽しめました」と口にしますよね。でもぼくにはそれが分からない。ぼくらは必死だった。負けたくない、一緒にずっとここまで頑張ってきた仲間に迷惑はかけられない。その思いが強かった。だからどうやったら野球を楽しめるのか、分からないんです。

両軍ナインは緊張感とも戦いながら、延長15回裏を迎えた。三沢の攻撃。先頭・菊池の左前打と敵失、敬遠で1死満塁のサヨナラ機を得た。そこまで無安打の打者・立花五雄に対し、松山商バッテリーはスクイズ警戒で2球ボールを続けた。だが勝負の3球目も外れた。押し出しでサヨナラか!? 甲子園が固唾(かたず)をのんで、井上の次の球を待った。

井上 2球続けてストライクを取れる自信はあった。狙ったところに投げ続ける練習はずっとしてきました。毎日の練習の終わりに(監督の)一色さんは必ずブルペンに来て投球を見守る。リリースポイントを同じにしたら同じところに投げられるとか、気持ちを無にすることなどを教えられた。

疲労の極みでもストライクを取る。監督・一色俊作が見守るブルペンで日々、井上が蓄えた力を出しきるときだった。1ストライク後の5球目、真ん中低めへの山なりの直球は、三沢ナインにはボールに見えた。NHKの実況アナも「ボッ…」の声を発しかけた。サヨナラ勝ちを確信し、ベンチの太田は腰を浮かしかけた。だが球審・郷司裕のコールは、ストライクだった。

球史を変えたとも言われた運命の判定。ただ郷司は自分の判定に絶対の自信を持つ審判だった。その郷司が迷うことなく、即座に右手を上げてストライクをコールしたのだ。

フルカウントからの6球目。立花は打って出る。直球を捉えた強烈な打球に、井上は飛びついた。捕れはしなかったが、グラブをはじいた打球は勢いをなくし、遊撃手、樋野和寿の前に転がった。樋野のバックホームはストライクの好返球。三塁走者・菊池の本塁突入を阻んだ。続く八重沢憲一に対してもカウント3-1とボールが先行したが最後、井上は中飛に打ち取った。後年、決戦を振り返った井上が、誇れるプレーに挙げたのは立花の打球へのダイブだった。

井上 打球への執念があった。さらに緊張した中で体が動いた。松山商の置かれた環境で練習してきた影響があったと思う。常に人から見られる環境で、その緊張感の中で厳しい練習を積んできた思いがあった。

1つ手元が狂えばサヨナラ負けする局面で、名門校のエースの底力を井上は見せたのだ。16回1死満塁の再びのピンチも、松山商は脱する。好機到来に喜び、逸機に落胆し、マウンドに向かう太田の足取りもさすがに重くなった。それでも気力を奮い起こせたのは、井上が投げ続けていたからだった。(敬称略=つづく)

【堀まどか】

(2017年8月25日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)