1974年(昭49)春、末次が柳川商に入学すると同時に、コーチに就任した男がいた。福岡大大濠から福岡大でプレーし、現在は福岡大が所属する九州6大学野球連盟の理事を務める樋口修二だった。コーチ1年目に入学してきたのが、背は高いがやせ形で「ニワトリ」と呼ばれた末次だった。

末次 とにかく、いつまでするんですかっていうくらい練習させられました。

寮生だった末次は同じく寮に寝泊まりしていた樋口から猛特訓を課せられた。練習が終わり、寮で一息ついた頃、館内アナウンスが響く。「末次、バットをもって寮監室に来い」。

末次 押し入れに隠れてましたよ、嫌で嫌で。そんなことしても同じなんですけどね。

他のナインと一緒に夜9時30分まで素振りをした後の話である。樋口のマンツーマン指導は深夜まで及んだ。午前2時は当たり前。同4時ごろまで続いたこともあったという。

末次 ああでもない、こうでもないって。2人でスイングチェックしながらの素振り。樋口コーチから「ここはこうした方がいいんじゃない」と言われて、その通りに振っていると「今度はこうしてみようか」って。ずっと、そんな感じです。

学校の掃除の時間ですら気持ちを緩められなかった。職員室の掃除中に樋口からほうきでのスイングを命じられたこともある。

末次 前日に夜中3時までやってスイングを完成させて「あとは自分で素振りしてものにしなさい」と宿題が出たんです。ちゃんと「自主練習」をしているかのチェックですよね。野球部のみんながトンボでグラウンド整備をしている間もずっと職員室で素振りです。ほうきで。

巨人時代の「王と荒川コーチ」のような関係。徹底した指導を“師匠”は懐かしそうに振り返る。

樋口 体はでかかったが力がなかった。打撃は腰から。腰でバットを振れというところから始まったのかな。

樋口もコーチ1年目で熱かった。自分の理論がどこまで通用するのか、末次に思いを託した。

樋口 当時のスター、王さんと長嶋さん、どちらのタイプがいいかと分析して末次には王さんのように遠心力を利用するような打撃を勧めた。それで1本足でスタートしましたね。フォロースルーを大きく意識するために、ふすまに体を近づけて体を回す練習をずっと繰り返させました。(末次は右打者なので)右肩が前に出るまでしっかり体を回せば、バットをもった時にしっかりフォロースルーが取れるんです。高いところから振り下ろして低めの球をバットに乗せるイメージもさせました。

末次 樋口先生は田舎者の自分にとって打撃のイロハを教えてくれた方。今でも頭が上がりません。

熱血コーチに鍛え上げられ、末次の打撃は完成されていった。76年夏の甲子園初戦で4打席すべて安打を放った4番打者は、意外な形で大記録を打ち立てることになる。(敬称略=つづく)【浦田由紀夫】

(2017年10月6日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)