気負いも重圧もなかった。1976年(昭51)夏の甲子園初戦で、柳川商(福岡)の末次は4打席連続安打を記録。2戦目(3回戦)の相手はPL学園(大阪)だった。8月16日の第3試合。午後4時33分に運命の試合は始まった。

末次 もう(初戦で)4本打ったことは頭になかった。とにかく勝ちたかった。それだけだった。

第1打席は2回表、先頭打者として迎えた。初戦の三重戦ではすべて直球を会心の当たりで安打にしたが、当たり損ねのゴロだった。しかし、それが一、二塁間を抜け、右前安打。これで5打席連続安打。これまでの大会記録は高松商の西川による6打席連続安打だった。第2打席は4回無死一塁で回ってきた。もちろん、タイ記録がかかっているなど本人は知らなかった。

末次 前の打者(3番竹上寿)が安打で出塁すると甲子園がざわつきはじめて「4番キャッチャー末次くん」ってアナウンスされた瞬間、ものすごい歓声が湧いたんですよ。なんだ、なんだって。記録がかかっていることなんて全く知らないわけですから。自分は(同学年で大会注目度NO・1だった東海大相模の)原辰徳じゃないよって。よく分からないまま打席に入りました。

ヒットエンドランのサインが出た。一塁走者竹上がスタートを切ると、末次は瞬時に反応して打球を転がした。第1打席も飛んだ方向がよかったが、この打席も同じだった。遊撃手の定位置へのゴロだったが、走者がスタートを切ったことで遊撃手が二塁ベース方向に動いていた。打球は楽々と左翼前へ。6打席連続安打のタイ記録は、思いもかけないラッキーな形での達成だった。

強運はそれにとどまらなかった。新記録は完全に打ち取られた打球での達成だったのだ。6回に迎えた第3打席だった。

末次 打った瞬間、しまったと思いましたね。力ない打球がフラフラと上がったんです。でも右翼前へポトリです。運が良かったとしか言いようがありませんね。

7本目の安打に甲子園は沸いたが、周囲がなぜ騒いでいるのか末次は分からなかった。それより、試合は3回に1点を奪われたまま進んでおり、追うことに必死だった。第4打席は9回裏。1死走者なしの場面だった。

末次 最後ははっきり覚えてますよ。打ったのはスライダー。初めて変化球を打った。外角のボールだったかもしれない。前に突っ込むようにして打った。相手投手の足もとでワンバウンドする打球でした。

中前安打で8打席連続安打を達成した。しかし、ヒットの喜びもすぐにかき消された。直後に後続が併殺に倒れ、0-1でゲームセット。一塁走者だった末次は二塁ベース付近で高校最後の夏は終わりを迎えた。

末次 悔しかった。自分の結果よりチームが勝たないと意味がない。試合後のインタビューでそう話したのを覚えてます。

1度もアウトにならず甲子園を去ることになった男の手元には今、快挙を飾ったバットが残っている。次回はその「相棒」にまつわる話を紹介したい。(敬称略=つづく)【浦田由紀夫】

(2017年10月7日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)