広陵は00年、8年ぶりの甲子園に出場すると、01年春にも出場。02年春からは5季連続で出場し、03年春には3度目の優勝を果たした。阪神上本、広島野村、巨人小林誠、広島上本、昨年広島ドラフト1位の中村奨成らプロ野球選手も輩出している。実績は積み上がっていくばかりだが、中井哲之の根底にあるものは変わらない。

「監督」の前に「教師」であること。野球を教えるよりも、まず人として育てることだ。

中井 僕は人間をつくってから野球が出来ればいいなと思うタイプ。人間がしっかりしていないところで野球をしてもしょうがない。そんな人間が勝ったところで誰も喜ばんし、誰も応援してくれん。

野球部のグラウンド脇には石碑がずらりと並んでいる。歴代選手の名前と校章、そして全てに「ありがとう」と記されている。

中井 一番大事にしている言葉。年を取ったり、立場が出来ると言わなくなる言葉じゃないですか。僕は誰に対しても「ありがとう」は言えます。

広陵の選手は、怒られた時に「すみません」ではなく「ありがとうございます」と言う。自分のために言ってくれて「ありがとう」。そんな感謝の心は道具に対しても芽生える。広陵の練習用ユニホームの背中には多くの名前が書かれている。代々先輩から受け継がれたもので、譲り受けては自分の名前を書き足していく。「物を大事に」という中井の教えで、グラブなど道具を新調するのも中井の許可がいる。許可が下りるのは、どうしても修繕できなくなったときだ。費用面も考慮し「母子家庭でも野球ができる野球部でありたい」という思いも込められている。

中井 当たり前のことが当たり前にできんやつは、誰からも愛されんじゃないですか。やっぱり周りの皆さんに応援していただいて、愛されて。記録は残さんでいいけど、記憶に残るようなチームがかわいいですよね。

指導者として、中井が誓うことがある。「3年間で付き合いが終わるような指導はしない」。生徒はわが子。本気で怒り、本気で泣く。レギュラーでも、控えでも同じである。昨年4月もそうだった。入部して以来、けがに苦しんできた3年生投手が「肘が良くなりました」と練習試合で登板することになった。1球投げ終えた瞬間、中井の目から涙がこぼれた。昨夏の甲子園出場を決めた広島大会決勝後もそうだった。スタンドに行き、声援を送ってくれた控え部員に「ありがとうのぉ、ありがとうのぉ」。涙が止まらなかった。

自身の高校時代、父千之(ちゆき)から言われたことがある。「お前、広陵で一番しんどい練習、何か分かっとるか。控えの選手でやり通すことが一番しんどいけぇ。控えは絶対大事にせえ」。その教えをずっと守ってきた。今も「控え選手が一番尊い」と伝える。

中井 中井のもとでやりたいと来てくれた以上は勝ちたいと思いますよ。でも、人間味のないことで勝ちたいとは思わないですね。中井先生に会えて良かったとか言わせることが、僕の価値じゃないですか。

勝利や名声にこだわらない中井が誇ること。母校を訪れるOBの数だ。「うちが日本一でしょう」と笑う中井のもとに、また多くの人が集まっていく。(敬称略=おわり)【磯綾乃】

(2018年2月16日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)