とにかく、相手を乗せるのがうまい。「阪口マジック」とも称される選手操縦術は、今も昔も変わっていない。

自慢の教え子で「バンビ」こと坂本佳一の女房役、社会人のJR東海監督も務めた大矢正成は「選手の力を本当にうまく引き出し、発揮させてくれる。今もそう」と言う。大矢は現在、NHK解説者として大垣日大の試合も担当。それだけに説得力がある。

89年センバツを制し、初めて日本一になった甲子園では優勝投手となった山田喜久夫に魔法をかけた。中日に進んだこの好左腕は、阪口が自宅に住まわせた数少ない選手。徹底して鍛え上げたまな弟子だった。

一緒に暮らし、お手製の筋力トレーニング器具を与え、毎晩シャドーピッチングにも付き合った。すべてを知っていた。好物は、すし。小柄な左腕は中でも甘エビに目がなかった。

甲子園で、阪口とエース山田は賭けをした。

「完封したら、すしをどんだけでも食べていい」

すると、山田は初戦、2回戦とあっさり完封をやってのけた。師弟は、試合後に約束通り宿舎に近い宝塚のすし店まで足を運んで、ペロリとやり、次戦に向けたエネルギーを蓄えた。

2回戦、強豪の報徳学園(兵庫)戦を阪口は今でもよく覚えている。序盤から強力打線を抑えベンチに戻った山田は、阪口と目が合うたびに「す~し~、す~し~」と口元を隠しながらささやいた。

阪口はまいったなと苦笑いを隠しながら「分かっとる、分かっとる」と返すのが精いっぱい。準々決勝以降、完封はならなかったが、上宮(大阪)との決勝は相手のミスにも乗じて延長10回逆転サヨナラで初V。ベンチでの苦笑いは、勝ち進み、最後に最高の笑みになって結実した。

当時の山田とも、親と子ほどの年の差があった。今は73歳。孫とまったく同じ年ごろの選手と、向き合い心を通わせている。

山田の時のように、一緒においしいものを食べることもあるが、選手へのアプローチも変えている。

「大垣日大に来て14年目になる。この14年で、自分が一番変わったと思う」

東邦は、阪口の監督就任前から強豪で、戦前から甲子園の常連。すでに全国制覇の実績もあった。一方、大垣日大は甲子園出場ゼロ、就任当時は専用の練習場さえなかった。東邦で定年を契機に退任、退職し、請われて新天地に移ったのが05年、60歳だった。チームは想像以上に弱かった。

「正直言って、これが高校野球かと。何から手をつけていいか分からなかった。帽子のかぶり方から教えて、ユニホームの着こなしから始めた」

東邦の時のような厳しいメニューを課せば、選手は「殺される」と言いアッサリ退部しようとした。2カ月ほど悩み、実績とプライドを捨てた。

「東邦阪口というのは忘れればいいんだ。いなくなって、大垣日大の阪口になりきればいいんだ。過去を忘れようと思った」

選手に優しい言葉をかけ、チームの士気を高めるため、ピエロのように振る舞い笑わせもした。そうやって、就任から2年目、07年センバツで結果を出す。同校にとって春夏通じ初出場の堂々の準V。在任13年で春夏7度の甲子園出場。孫のような選手をその気にさせる術は、今なお、健在だ。(敬称略=つづく)【八反誠】

(2018年2月20日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)