日本が主要世界大会では、09年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)以来10年ぶりに世界一となった。20年東京オリンピック(五輪)の前哨戦となるプレミア12の決勝は、前回大会の準決勝で敗れた韓国に5-3で逆転勝ち。大会初優勝を飾った稲葉篤紀監督(47)が男泣きし、胴上げで8度宙を舞った。最大目標に掲げる東京五輪へ向け、勢いがつく結果を残した。

世界一の光景は、あっという間に、にじんだ。終始、鋭かった眼光が涙に覆われた。日本が最後に頂点に立った09年WBCから10年。当時選手だった稲葉監督が、再び日本を頂点に押し上げた。「日の丸をつけて野球界のために世界一になりたいと思いが強かった。その一心で選手が頑張ってくれました」。初めて日本で栄光を見届けたファンの前で声を張った。

4年前の悪夢を指揮棒で切り裂いた。第1回プレミア12の準決勝・韓国戦。3点リードの9回、回またぎでリリーフした、先発が本職の則本から崩れた。決勝まで勝利の方程式を構築できなかった高い代償を払わされた。当時は打撃コーチ。「継投どうこうより、もっと1点でも多く取れなかったのか」。批判は継投策に集中したが、職責を顧みて何度も自問自答した。

プレミア12のメンバー発表時も「抑えは流動的にと考えてる」と臨機応変な姿勢を見せていたが、合宿直前に松井の辞退を受け、一気に方程式を固めた。セットアッパー山本、守護神山崎を据え、大会が始まってから甲斐野を7回に添えた。打順を熟考し、練り直すことも多いが、時に竹を割ったような決断力が日本の推進力となった。

行動の1つ1つが世界一への思いだった。9月のイタリアでの欧州・アフリカ五輪予選。中世の街並みを残す古都パルマに滞在したが、ホテルにこもる時間が長かった。「視察に行けない他会場の予選の試合をテレビでね。気になって見てしまう」。チャンネルを変えても“代表戦”が気になった。ラグビーワールドカップ(W杯)で、日の丸の戦友たちに目を奪われた。試合に向かう直前、気持ちが高ぶり、涙する話を聞き、同調した。

稲葉監督 自分も日本シリーズやジャパンで君が代を聞くと、泣きそうになるんです。

日の丸に対し、同じ熱量で戦う選手を欲した。10月21日の合宿集合以来、異例となる長さで28日間も同じ釜の飯を食べ続けた。涙がこみあげそうになる試合前の君が代は「みんなで歌おう」と呼び掛けた。ともに戦い抜いた。慣れぬポジション変更も忍んでくれた。だから泣けた。「みんなが世界一を取るために一生懸命、やってくれた。そこにこみあげてくるものがあった」と感謝した。

世界一を遂げたが、悲願の金メダルへは途上にある。「みなさまに野球を通じて勇気、希望を与えられたのではないか。来年五輪があるので、世界一を取れるよう準備します」。来年8月。横浜の、そして日本の空が歓喜の涙にかすむ。【広重竜太郎】

◆稲葉篤紀(いなば・あつのり)1972年(昭47)8月3日、愛知県生まれ。中京(現中京大中京)-法大を経て94年ドラフト3位でヤクルト入団。04年オフFAで日本ハム移籍。07年首位打者、最多安打。08年北京五輪、09、13年WBC日本代表。12年に通算2000安打達成。14年引退。日本代表ではプレミア12、WBCで打撃コーチを歴任、17年7月監督就任。