14年前の2006年5月25日、ヤクルトのリック・ガトームソン投手が楽天戦で交流戦史上初のノーヒットノーランを達成した。来日2年目の同投手はこの年、9勝を挙げオフにソフトバンクに移籍。07年7月、ドーピング検査で服用していた飲む発毛剤から禁止薬物が検出され20日間の出場停止と球団に750万円の制裁金が科された。日本では4シーズンで27勝29敗、防御率3・52。その後韓国でプレーし米国に帰国、メジャー登板を目指したがかなわなかった。

【復刻記事】

師弟対決第5ラウンドで古田ヤクルトが偉業を達成した。来日2年目のリック・ガトームソン投手(29)が楽天5回戦で史上72人目のノーヒットノーランを達成した。許した走者は四球と失策の2人で、チームでは97年石井一以来7人、8度目。交流戦では初。古田兼任監督にとって就任1年目でのサプライズで、楽天野村監督の前でメモリアル勝利を飾った。交流戦11勝3敗と「首位」を走る古田ヤクルトは待望の貯金1とし、本拠地でお祭りゲームを演じた。

お立ち台でヒーローインタビューを終えたガトームソンの横に、古田監督も並んだ。自らウイニングボールを手渡し、2人でカメラのフラッシュを浴びた。相手に有無を言わせない、ノーヒッターの快勝劇で待望の貯金生活。しかも、恩師率いる楽天相手の5連勝に、本拠地神宮のスタンドの興奮は、照明が消えるまで冷めなかった。

周囲の注目は「古田-野村」の師弟対決。だが、そんな因縁など、来日2年目のガトームソンには無関係だった。最速152キロの速球を主体に、スライダー、さらに今季から覚えた速いフォークで淡々と27個のアウトを重ねた。許した走者は失策、四球の2人だけ。こん身の139球で、米ワシントン州の高校時代以来、プロ人生では初の快投を演じた。「それまではみんな話していたのに、6回ぐらいから誰も声を掛けなくなっていたからね。でもナーバスになったのは試合が終わってからだよ」。

年俸4800万円の格安外国人が、これまでに脚光を浴びることはなかった。01年オフ、当時在籍していたパドレスから、右腕痛を理由に突然解雇された。「そんなに大したケガではなかったのに…」。翌年は、米独立リーグに所属しながらリハビリに専念。その後、マリナーズ傘下の3Aタコマでメジャー昇格を目指すうちに、ヤクルトからオファーを受け、日本行きを決意した。昨オフには、同郷のミッシェル夫人と結婚。今年2月には子宝にも恵まれた。「きちんと仕事をしなきゃいけないからね」。来日2年目の余裕とパパとなった自覚が、安定感にもつながった。

29年ぶりの兼任監督としてスタートした古田ヤクルトも、ここまでは苦戦続きだった。一時は最多借金7まで膨れ上がり、沈滞ムードが漂った。だが交流戦開始と同時に快進撃が始まった。この日も「選手・古田」を7試合連続スタメンから外し、好調の米野を起用。自らは采配に徹した。「米野がいいのは、監督としてうれしいこと。今年は育てながらやるわけですから」。1回裏の好機にはエンドラン、2盗塁と積極的に仕掛けた。貯金への強い意志の表れだった。

そんな中での快記録。「本人もうれしいだろうけど、チームにとっては勢いの付く勝ち方だったね」。古田監督は絶賛する一方で、ゴンザレスに登板機会を与えるために、26日には予定通り登録抹消する。ガトームソンは「ノーヒットノーランの翌日に登録を外れる初めての投手になるかもね」とおどけたが、長期戦を見据えた姿勢は変わらない。今後は巨人、阪神、中日との「4強」ムード。古田ヤクルトが最高の形で、混セに乱入してきた。

▼ガトームソンが04年10月4日の井川(阪神)以来、プロ野球史上72人、83度目のノーヒットノーランを達成した。ヤクルトの投手では97年石井一以来7人、8度目。2リーグ制後、外国人投手のノーヒットは66年バッキー(阪神)85年郭(西武)95年ブロス(ヤクルト)00年バンチ(中日)同年エルビラ(近鉄)に次いで6人目。バンチとエルビラは来日初完投がノーヒットノーランとなったが、ガトームソンも来日通算23試合目でこれが初完投だ。この日は139球。延長11回で記録した73年江夏(阪神)は142球で達成したが、9回試合のノーヒットでは2リーグ制後の最多投球数だった。なお、神宮球場でのノーヒットノーランは1リーグ時代の48年梶岡(阪神)が南海戦で記録して以来、58年ぶり2度目。

<敗れたノムさんは>

楽天2年目で許した初の無安打無得点は、ノムさんにとっては30年ぶりの屈辱だった。最後の打球を確認する前にベンチを立ち、三塁フェンス沿いをとぼとぼ歩いた。怒りを通り越し、薄ら笑いを浮かべていた。試合後定例の会見を初めて拒否。「これがチームの現状。負けるべくして負けた。実力や」と吐き捨てた。

惜しいと思わせる当たりもない。7回はクリーンアップが3連続三振。8回には6点をリードされながら守護神福盛を投入。奇策で奮起を促したが、打線は沈黙したまま。狙いを直球に絞っても、打ち損じばかり。打者の工夫も結果につながらないのが「現状」であり「実力」だった。

これまでは土壇場で危機を回避してきた。昨年、西武西口に9回まで完全試合ペースで封じられながらも延長突入で免れ、今年は無安打無得点ペースだったロッテ渡辺俊が危険球退場で「自滅」。不思議な力も借りて窮地を免れてきたが、運も尽きた。古田ヤクルトに5連敗。野村監督はかつて栄光を味わった神宮で、教え子に完全にコケにされた。笑うしかなかった。

▼楽天野村監督は監督として30年ぶりにノーヒットノーランの屈辱を味わった。ヤクルト、阪神監督時代には1度もなく、無安打に抑えられたのは南海監督時代の76年5月11日、戸田(阪急)に記録されて以来。

<当日の楽天スタメン>

1(中)鉄平

2(遊)高須

3(右)磯部

4(一)フェルナンデス

5(左)憲史

6(二)リック

7(三)山下

8(捕)カツノリ

9(投)愛敬

◆リック・ガトームソン 1977年1月11日、米カリフォルニア州トーランス市生まれ。エドモンズ・コミュニティー短大から97年ドラフト22位でパドレス入団。マリナーズ傘下2Aサンアントニオ、3Aタコマなどを経て、昨年4月にヤクルトに入団。メジャー経験はない。来日1年目の昨季は16試合に登板し、8勝5敗0S、防御率4・18の成績だった。182センチ、95キロ。右投げ右打ち。推定年俸4800万円。

※記録、表記などは当時のもの。