今季限りで現役を引退する巨人岩隈久志投手(39)が23日、東京ドームで記者会見を行った。一問一答は以下の通り。

 

-この1年間のモチベーションの原動力は

岩隈 振り返れば、辛い部分は周りからはそう見えるけど、僕自身はとにかく挑戦という思いでやらせてもらって、いい日も悪い日も、明日は必ず良くなっていくと思ってやらせてもらった。最後の最後まで、あきらめずに、監督も「日本シリーズに」と声をかけてもらっていたので、僕自身としても、最後に1軍のマウンドに立つという気持ちでやらせてもらっていた。そういった中で原動力といいますか、家族のそばでの支えが大きかったと思います。いつも子供たちは、野球選手だと思ってないくらい感じで近づいて、しゃべってくれますし、どこに行ってもついてきてくれたのは感謝です。嫁さんも僕の足りない部分を全て補ってくれて、一緒になって戦ってくれたので、こんな女性いないんじゃないかというくらい本当に感謝です。モチベーションになって、最後の最後まで、あきらめずに挑戦することができたのかなと思います。

 

-引退を伝えた時の家族の反応は

岩隈 長い間、よく頑張ったね、と。逆に、こちらがありがとうございましたという言葉を掛けてもらった。すごくありがたかったですし、僕が助けてもらったので、家族とともに成長して戦ってこられたので感謝ですね。

 

-後輩へのメッセージを

岩隈 自分も惜しみなく、アドバイスをさせてもらった。僕としても貴重な経験、財産にもなった。1軍の舞台で活躍してもらって、世界に飛び立ってもらいたいという思いはあります。

 

-原監督に引退を伝えたのはいつか。巨人の2年間で見えたものは

岩隈 監督に引退しますと告げたのは、10月に入ってからで、つい最近ではあるんですけど、そういう話し合いの中で決断して、伝えさせてもらいました。最後の最後まであきらめずに、やらせてもらえたことはすごく貴重な財産になったんじゃないかと思います。野球をやっていて、いい日も悪い日もあった21年で、最後は苦しい部分もあったと思うんですけど、毎日毎日何をやるべきかとしっかり考えながら、過ごさせてもらった日々でした。この2年間で結果は出せなかったですけど、挑戦し続けてこられたことは、何かに生きてくるのかなと思います。

 

-東北のファンの存在は

岩隈 仙台、東北にいってから、僕自身が野球だけじゃなく、人間として、成長させてもらった場所でもあったと思います。応援が無ければ成長できてなくて、メジャーにも行けていなかったのかなと思います。それくらいファンの温かみを感じながら、やらせてもらった。ジャイアンツを選んできたのも、東北のファンを裏切るわけではなく、この地で常にチャレンジしていく思いを持ちながらやらせてもらっていたので、最後に東北のファンの方々に1軍のマウンドで投げる姿を見せることができなかったのは非常に残念ですけど、温かい言葉をかけてくださって、感謝の思いでいっぱいです。

 

-ヤクルト近藤、坂口の近鉄戦士への思いは

岩隈 今は、なくなってしまった、近鉄バファローズというチームなんですけど、そこでスタートさせてもらって、いてまえ打線、大阪の勢いのあるチームからのスタートでした。僕もとにかくがむしゃらに、古久保さんのミットをめがけて投げた記憶が瞬時によみがえってきますし、近鉄では5年間やらせてもらって、球団は無くなってしまったんですけど、あの近鉄ファンの熱い応援は今でも忘れません。そういう思いを持ちながら、楽天イーグルスで戦い、メジャーリーグのシアトルマリナーズで戦い、ジャイアンツでもそういう思いを持ちながら、最後の最後まで戦ったので、感謝の気持ちしかないです。坂口、近藤選手には最後の最後までもがいてといいますか、僕は39歳で引退しますが、もっともっと長くプレーしてもらえるように応援したいと思います。

 

-東京ドームのシート打撃で脱臼した時の思いは

岩隈 このジャイアンツに来たときに、この球団を選んだ時はここで最後に決めると思って、最後、この球団で引退すると自分の中で決めたジャイアンツ。昨年1軍に上がることもできず、とにかく1年1年が勝負の中で、2軍では何とか兆しが見えてきた部分もあったので、今年が勝負だったんですけど、勝負をかける中で状態がいい日があれば、悪い日もあり、自分の中では何とか早く状態を良くして、1軍のマウンドに上がりたいと思いが強い中で、良かったり、悪かったりで進まず、時間が過ぎてしまった。そんな時に、原監督が「どんなボールを投げてるかわからないから、ボールを見てみたい」と1軍でのシート打撃での話をいただきました。その時に僕自身も、ここで勝負かけなきゃいけない、今までたくさん時間をもらっていたので、何とかここで次のステップの兆しが見えるように、自分の中でも勝負しようと思って、上がったマウンドだった。できる限りのことをやろうと思って、集中して全力で投げたその1球で体力的な部分を含めた意味でも、引退を考えましたし、投げた時はめちゃくちゃ痛かったです。

 

-それから、体力の限界だと感じたのか

岩隈 いい日悪い日が出だした。肩だけではなく、肩の部分に関しても毎日ジャイアンツのトレーナーに見てもらって、あらゆることを尽くしてもらいました。肩だけじゃない、体の全部の使い方が、投げるタイミングが合わなくて、肩が悪いだけじゃなくて、体の全体的な使い方の部分が、今まで使えた部分が使えなくなっているのがあったのかなと思います。

 

-引退を直接伝えたのは

岩隈 たくさん関わった方がいましたので、いろいろと連絡させてもらった。もちろんイチローさんであったり、ダルビッシュさん、田中投手であったり、マエケンであったり、同級生の川崎宗則、青木宣親選手とか。僕が最初にお世話になったソフトバンクの久保コーチであったりとか、連絡をさせていただきました。長い間、お疲れさまでしたとか、よく頑張ったなと声を掛けてもらいました。

 

-イチロー氏の言葉は

岩隈 「お疲れさま」っていう一言をいただきまして、「よく頑張ったね」と言ってもらいました。

 

-同世代の選手への思いは

岩隈 同級生はね、もう少ないので、とにかく長く、まだまだ現役でプレーして欲しいなという思いが強いので、最後の最後まで現役で頑張ってる同級生の選手は応援したいです。

 

-社会貢献活動への思い、今後は

岩隈 社会貢献活動をやらせてもらったのも、この世界に入って、プレーしていく中で、まずはこういうことをしてみないかと話をもらったんですけど、当時嫁さんが福祉関係に興味があるというのもあったんで、やってみようとやらせてもらった。野球人生の中で、みなさんと出会って、いろんな部分でパワーをもらって戦った中で、僕に何ができるのかという中で今に至る。常に何が出来るかを考えてやっていきたいですし、感謝の思いで、僕は何か役に立つことがあれば、いろんなことをやっていきたいです。

 

-今はスッキリしてるのか、悔しい思いがあるのか

岩隈 今はすごくスッキリしています。感謝の思いでいっぱいなんですけど、次にスタートしていかないといけないなという思いです。