おかえり! マリナーズからFAとなり、オリックスに4年ぶりに復帰した平野佳寿投手(36)に対して、京産大の恩師・勝村法彦監督(64)から激励が届いた。教え子は05年ドラフト希望枠でオリックスへ入団し、18年には海を渡り、日米通算164セーブの実績を積み上げた。最速156キロの直球のルーツ、育成方法など在籍時の秘話を明かしつつ、活躍を願った。【取材・構成=真柴健】

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京都・北山に、にこやかな笑顔が待っていた。京産大野球部の勝村監督は「今年こそ京セラドームに見に行けるかな」と教え子の雄姿を心待ちにする。

運命の初対面は00年秋のわかさスタジアム京都だった。当時、平野佳は鳥羽高の2年で背番号2桁の控え投手だった。「最初はね、目的は平野じゃなかった。だけど…。ブルペンで投げている投手を見てビックリした。すぐに『あの投手の名前は何というんですか』って聞き回ったのを覚えているね」。

覚えた興奮を忘れられず、また見たくなった。翌春。バックネット最前列に陣取った太陽が丘球場で「間違いないと確信した」と明かす。京都学園打線を相手にバサバサと三振を奪う。投げ合う相手は大隣(現ロッテ2軍投手コーチ)で、後に大学日本代表で左右のエースとなる。「良い素材はコツコツ練習すると、必ず伸びる。平野は素直だった」。

そして02年、京産大に入学。「体が強くてしなやか。それに手足が長い。投球フォームを触ったことなんてない。ほとんど、パズルのピースがはまっていた。あと少しだけ埋めれば完成だと思った」。指摘したのは「(1)踏み込んだ左足が外側に割れること。(2)投げる瞬間、腰が後ろに引けて猫背になること」のみで、勝村監督は「平野も『何も教えてもらったことがない』と言うんじゃないかな」と笑い飛ばす。

直球を磨くと2人で約束した。「本人と話して『変化球封印』だと。大きく育ってほしいのでね。長所は伸ばせるだけ伸ばさないと」。6月の新人戦では直球のみで完封。スライダーは1年秋まで封印し、得意のフォークは「将来を考えて、肘の負担は避けた」と4年春まで使わなかった。

当時の部員が残した言葉を鮮明に覚えている。「守っている選手が『ワンバウンド』かなと思ったボールがストライク。あの直球の伸びは本物です」。

平野佳は、今でも母校に顔を出す。「何も変わらないですよ。投げ方も、表情も。1年でも長く現役でいてほしい」。スタジアムを沸かす「教え子」に目を細めた。

◆平野佳寿(ひらの・よしひさ)1984年(昭59)3月8日生まれ、京都府出身。鳥羽から京産大を経て、05年大学・社会人ドラフト希望枠でオリックス入団。5年目の10年から救援に本格転向。13年に通算100ホールド到達。14年の40セーブは当時パ・リーグ新記録だった。16年に通算100セーブ達成。17年オフにFA宣言しダイヤモンドバックス入団。昨季はマリナーズに在籍していた。186センチ、88キロ。右投げ右打ち。