ヤクルトでスカウト部長を務めた片岡宏雄氏が、6日に死去していた。85歳だった。ヤクルトの一時代を築いた選手たちを担当した名スカウトだった。

「選手を取った時の喜び? そんなのないよ。感傷に浸っているヒマはないからね。取ったら終わり。また新しい選手を探さないと。古田を取ったから捕手は終わり。宮本を取ったから遊撃手は終わり、っていうわけにはいかない」と、満足という言葉とは無縁の生活を送り続けた。

選手としては捕球技術に優れた捕手だった。400勝投手の金田正一から「それだけは国宝級や」と褒められた。浪華商時代から鉛の球を捕球する練習を続けていた成果。「オレは球を殺せた。手首の使い方にコツがあるんだ。素手でも捕球できたと思う」と自信を持っていた。立大では1年からマスクを被り、杉浦忠の球を受けた。

長嶋茂雄の1年後輩として、付き人のように従い、灰田勝彦、ディック・ミネ、上原謙らとも交流した。6年前、日刊スポーツの企画で、58年立大の東京6大学4連覇を振り返り「野球っていうのは分からない。弱い者勝ちみたいなところもある。野球とは不思議なものだよ」と感慨深げに話していた。

◆片岡宏雄(かたおか・ひろお)1936年(昭11)6月15日、大阪府生まれ。53年に浪華商(現大体大浪商)の捕手としてセンバツ準優勝。59年に中日新聞の出向社員として中日に入団。61年に国鉄に移籍し、64年に現役を引退し産経新聞などで記者を務め、72年からヤクルトのスカウトやコーチを歴任。若松勉、広沢克己、池山隆寛、古田敦也、高津臣吾らをスカウトした。