マサカリ投法で知られる、プロ野球元ロッテ投手として活躍した村田兆治さん(72)が11日午前5時57分に亡くなった。警視庁によると、東京都世田谷区の住宅火災で搬送され、この家に住む村田さんと確認された。

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兆治の訃報を聞いた瞬間、大きなショックを受けて身動きがとれなかった。あまりに突然の出来事に「一体どうしたんだ、兆治?」とぼうぜんとするしかありませんでした。

わたしが2つ年上で、プロ入りは兆治が1年先の同世代です。常にわたしを意識していたし、ロッテのエースとして強い阪急を倒すことに執念を燃やしていた、反骨心の塊のような一流投手でした。

1986年(昭61)4月6日、わたしの12年連続開幕投手が川崎球場でのロッテ戦で、兆治とお互いが2日間雨でスライド登板になった。結局わたしが完投勝ちを収めるのですが、常に好敵手でした。

性格は一本気で、自分が決めた道はひたすら進むタイプです。当初はボールは速いけどコントロールのつかない自滅型。でも独自に編み出した「マサカリ投法」は傑作で、フォークを操りながら勝てる投手に生まれ変わりました。

右肘のトミー・ジョン手術後は、スライダーを習得して復活。その後の「カムバック賞」が物語っているように、速球派投手に制球力がついて再び息を吹き返したのです。

前からタバコをやめていたし、体にも気をつけていたはずです。ストレートすぎるから、仲間内でも衝突することはあったけど、周囲は兆治の性格を知ってるから事態が大きくならなかったものです。

沢村賞の選考委員も辞退していたので、少し気になっていた矢先です。同じパ・リーグに生き、ライバル心をむき出しにし、時代を戦い抜いた大切な後輩でした。これが兆治との永遠の別れになってしまうのは、あまりにもつらすぎます。