西武呉念庭内野手(30)が1日、今季限りでの退団を表明した。来季以降は故郷台湾のプロ野球でのプレーを希望している。

台湾球界の名選手だった父・復連さんは、渡辺久信GM(58)とチームメートだったこともある。退団が決まり、同GMは「念庭が5歳くらいの時から知ってるし、家族ぐるみの付き合いがある」と懐かしんだ。

日本で社会人野球を経験したこともある父には、少年時代から「いい経験になるぞ」と日本行きを勧められていた。ゲームボーイでも「パワプロやってました。カブレラとローズを使いたくて、西武と近鉄ばっかりで」と日本の野球ゲームにはまっていた。

思いが決定的となったのは06年夏。ちょうど中学野球で日本に遠征に来ていて、夏の甲子園の決勝戦を目撃した。

「田中将大さんと斎藤佑樹さんの投げ合いを見て。『甲子園っていいものだな』と思って」

日本行きを決断した。韓国、中国、ノルウェー、カンボジア…多国籍のクラスメートとともに日本文化を学び、言葉を覚え、今ではもう行間を読み取れるほど、日本語が堪能だ。

岡山大会では3年続けて同じ高校に敗れ、甲子園には届かなかった。「大会前にみんなの前で背番号をもらう瞬間が、一番の思い出ですね。頑張って良かったな、って」。努力を続けてプロ野球選手になった。

気がつくと「今年で30歳だから、ちょうど15年、15年で半分ずつですね」というほど歳月が過ぎていた。いつか台湾で野球を-。そんな思いを抱きながら。

日本へ行く-。15歳の決断を、30歳になってどう思うのだろう。

「いいか悪いか…うーん、でも日本に来て良かったなと思いますね。人との巡り合い、一期一会もけっこう。社会に出てからは基本的に日本の方が長いので。半分ですね。長いっすね、15年」

しみじみと話す。日本の良さを尋ねた。

「何に対しても全力ですね。自分の仕事を全力で、一生懸命こなす。役割を決めたら全力を尽くす。野球でいけば1球に対する思いはすごく伝わりますね」

台湾は。

「人の温かさ、フレンドリー。もちろん日本も、それはありますよ。でも台湾はそこが一番じゃないですかね。困ったらすぐ、自分のことのように考えてくれるのが台湾の良さです」

いつか両国の架け橋になれたら-。そんなことも話していた。

「もっと両国の絆を深められるような存在に。小さな影響でもきっかけを作りたいですね。もっと深めるような存在になれたら。そういう仕事にも憧れます。そのために今は活躍したいっていう気持ちも、やまやまあります」

やまやま、なんて難しい日本語を使いこなした人気者が、故郷へ戻る。

私事ながら、呉やチーム内にいた台湾出身者の温かな人柄に触れて、近い将来に台湾を旅しようと思うまでになった。

「やっぱり台北の夜市、いいですよ。ちょっと遠いけど、食べ物は台南市がおいしいです。暖かいし」

またいつの日か。呉念庭、加油。【金子真仁】

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