東幕下2枚目友風(27=二所ノ関)が、西幕下2枚目矢後(28=押尾川)を送り出しで下して初日を出した。「何百番も稽古した矢後と本場所で戦えることに喜びを感じました。復帰してから過去最高に楽しみにしていた相撲だった。負けてもそう言える一番だった」と振り返った。
友風と矢後は、ともに尾車部屋から17年夏場所初土俵を踏んだ同部屋、同期入門だ。また、同学年でともに学生出身であることから比較されることも多く、入門以来、同じ稽古場で切磋琢磨(せっさたくま)しながら高め合ったきた。矢後は19年初場所で、友風は19年春場所で新入幕を果たすも、ともにケガに苦しんで番付を落としていた。
そして、尾車親方(元大関琴風)が日本相撲協会の定年を迎えるのにあたり、22年2月に尾車部屋が封鎖。矢後は部屋付きの押尾川親方(元関脇豪風)が興した押尾川部屋へ、友風は同じ二所ノ関一門の二所ノ関部屋へ転籍した。互いに違う部屋になったことで対戦が実現した。「復帰してから過去最高に楽しみな相撲だった。負けてもそう言える一番だったと思う」としみじみと話した。
土俵に上がり、いろいろなことを思い出したが「相撲なのでしっかりと勝ちにいった。全力でいきました」と全てを出し切った。そして「またやりたいですね。これから切磋琢磨(せっさたくま)しあって上がっていきたい」と、次は関取同士での対戦を夢見た。

