片岡仁左衛門(74)が文化功労者に認定されました。父13代目仁左衛門も認定されており、親子2代続いての栄誉となります。「追いついたなんてとんでもない。足元にも及ばない。昔の方々は、写真や映像を見てもすごい。全力で先輩、父から教えていただいたところを、後世に伝えなくてはいけない。そのためには私自身が勉強しなくてはいけない。そういう気持ちで歩んできました」。

認定の知らせは、10月の歌舞伎座で20年ぶりに「助六」を演じるため、先輩や自分のビデオを見直している時に届きました。「お受けいただけますか」とおっしゃったので、「謹んでお受けしますと。断る人もいないと思いますけど」。すぐに仏壇に向かい、「父、母、そしてご先祖に報告しました」。会見でも、中学生の時に父からプレゼントされた腕時計に目をやりながら、「父と一緒にいるような」と感慨深げでした。

1949年に5歳で初舞台を踏み、来年で70年の節目を迎えます。しかし、上方歌舞伎の衰退もあって、若い頃は役に恵まれなかった。「廃業しようと思った時期もあります。ただただ、歌舞伎が好き。歌舞伎の魅力から離れられなかった」。孝夫時代に坂東玉三郎との「孝玉コンビ」で人気を集めました。そんな最中、大病を患い、1年間も舞台を離れ、闘病生活を送ったことも。しかし、見事に舞台復帰。「おこがましい言い方ですけど、神様が『歌舞伎のために頑張れ』とおっしゃってくださったんだと思いました」。

復帰から4年後の98年に15代目仁左衛門を襲名、3年前に人間国宝になりました。「歌舞伎の公演回数は多い。でも、今がいいからと安心してはいけないという気持ちでいっぱいです。若い人たちには、歌舞伎の真髄を極めながら攻めてほしい」。多くの当たり役を持つが、「その役になって、その人物にならないと、お芝居は面白くならない。人物を演じるのではなく、人物になろうとすることが大事。初めは嫌いだと思っていた役も、舞台に立つと好きになってしまう」。

今後については、「歌舞伎の魅力を、歌舞伎をご存じない方々に伝えたい。その努力をするのが1番。死ぬまで修業です」。自ら考えた言葉「不逆流生」を引いて、「これまでもこれからも、流れに逆らうことなく流れに乗り、その流れを生かしていく」という。珍しく、引き際についても言及しました。「この程度ならお見せしても恥ずかしくないと思える段階で辞めたい。惜しいなと思われる間に辞めたいと思うんです」。声よし、顔よし、姿よしの仁左衛門ならではの美学でしょう。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)