10月27日に64歳で亡くなった女優角替和枝さんの出演した舞台を初めて見たのは、演劇記者になったばかりの79年のつかこうへい事務所公演「広島に原爆を落とす日」だった。角替さんは日本軍が占領したソロモン諸島に住むビアンカという現地の女性を演じていた。

愛する日本兵にひどい仕打ちを受けながら、好きで好きでたまらないビアンカ。愛されようとけなげに何でも言うことを聞くビアンカは、ビールが飲みたいという兵士に言う。「ビアンカ、悪い女ある。どんなに頑張っても、おっぱいからビール出なかったある。日本のきれいな人、おっぱいからビール出るあるか?」と嘆く。兵士に「忙しいってことは、もう会いたくないってこと。行間を読め行間を。それが日本人のわびさびなんだよ」と罵倒されても、一途に思い、最後は日本兵に殺される。小さな体で体当たり演じる姿に、ビアンカの切なさが重なって、強い印象が残った。

角替さんは静岡に生まれ、高校卒業後、演劇を志して上京した。劇団暫に在籍した時に、つかさんの目に留まり、「サロメ」「ヒモのはなし」などつか事務所公演に出演した。「ヒモ」では酒井敏也とのストリッパーとヒモの「まこととみどり」のコンビを演じ、つかさんは「和枝が演じたみどりが1番好きなんだ。切なくて。いつか『まこととみどり物語』ってのを書きたい」とまで書くほどだった。

角替さんは柄本明が主宰する「東京乾電池」にも属し、26歳で柄本と結婚してからは、乾電池で夫の柄本を支えた。つか事務所時代の角替さんは「おとなしい人」という印象で、つかさんも「和枝が車の免許を取ったと言うんだけど、信号なんかで、タチの悪い運ちゃんに怒鳴りつけられているんじゃないかと思うと、居ても立ってもいられない」と心配するほどだった。

しかし、今、俳優として活躍する柄本佑、時生の兄弟を生んで、母としてたくましくなった。大のゲームファンで、子供たちには「あんたはマリオやゼルダから何を学んだんだ。諦めない心だろ」と本気で怒ったり、佑が「自分の演技を見ていつもがっかりするんだ」とこぼすと、「この仕事は待つのとがっかりに慣れることが仕事」と諭した。嫁の安藤サクラが朝ドラ「まんぷく」の出演依頼に迷っていた時には、「これをやらないなら事務所も辞めちゃいな」と、背中を押した。頼りになる母だった。

女優として活動する一方、シニア向け「演劇教室」で中高年を相手に演技指導し、こども向けの公演の演出も行った。今月23日から始まる東京乾電池こども劇場「さらっていってよピーターパン」で演出に名を連ねた。別役実作品で、以前上演して、好評による再演だった。妻として、母として、女優として、そして演出家として、もっともっと輝いてほしかった人である。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)