志村けんさんが亡くなった。海外メディアでも「日本の喜劇王が亡くなった」などと報じたが、志村さんの笑いは、歌舞伎の天才、落語の天才も認めていた。

志村さんと中村勘三郎さんは一緒にお酒を飲みに行くほど仲が良く、テレビ番組で2人でおいらん姿でコントを演じたこともあった。歌舞伎の先輩には「テレビでコントをやるなんて」と苦言を呈されたが、勘三郎さんは「志村さんとコントができるなんて、こんなすごいことはない」と、意に介さなかった。

立川談志さんも志村さんの笑いに魅せられた1人だった。あるバラエティー番組で志村さんはビートたけしと、女風呂をのぞくのに股間をオケとか風船で隠し、裸で走り回るコントを演じた。それをテレビで見ていた談志さんから志村さんに手紙が送られた。「よくやった。バカバカしいことを真剣に。笑ったよ」と書いてあった。志村さんにとっては、最大の褒め言葉だった。

志村さんは06年から、志村けん一座の座長として舞台「志村魂(しむらこん)」を上演していた。1部は「バカ殿」を30分ほど演じ、ショートコントが続いた。2部は津軽三味線の生演奏、3部は尊敬する、昭和の喜劇王だった藤山寛美さんが演じた松竹新喜劇の名作喜劇に挑むという構成で、3時間半超えの長丁場に志村さんは出ずっぱりだった。19年まで毎年のように公演が行われたが、その構成は変わらなかった。

「バカ殿」「ひとみ婆さん」、そして「変なおじさん」が登場するコントに子供からお年寄りまで大いに笑わせ、「一姫二太郎三かぼちゃ」「人生双六」「先ず健康」の松竹新喜劇の名作喜劇では笑わって泣かせてくれた。「一姫-」では、実家に残ってまじめに働く三郎を演じ、母親の喜寿の祝いに都会から帰ってきた兄弟たちにバカにされながらも、懸命に家族を助けようとする三郎の姿に、観客は涙を流した。

「お金を払って見てくれる舞台をやりたかった」「寛美さんの芝居は、現代にも通じる人間の良さを出せる。舞台を見て、人を大事にするのはいいことと思ってもらえれば」とも話していた。今年8月に東京・明治座、大阪・新歌舞伎座、名古屋・御園座で上演を予定していた。ここ数年、夏に上演される「志村魂」を見るのが楽しみだった。かつて、夏に恒例だった寛美さんの新橋演舞場「松竹新喜劇」、お盆と正月の定番だった渥美清さんの映画「男はつらいよ」が大好きだったけれど、それに代わって、夏といえば、「志村魂」だった。その楽しみがなくなった喪失感を、これからジワジワと感じてくるのだろう。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)