登山は人生そのもの-。まさにその通り。先日、登山素人の私が、桂文枝師匠(74)の富士山頂奉納落語に同行し、実感した。「登山は人生」とは、同行していた天津の木村(41)が発した言葉だった。

 富士登山には複数のルートがあり、師匠が選んだのは富士宮ルート。距離は最短で、初心者向けではあるものの、ほとんどが岩場。まず最初の教訓は「急がば回れ」だった。

 5合目までバスで移動し、いざ出発。6合目までは比較的、平らだったが、6合目を過ぎると岩場の連続だった。すでに、血流の悪さから壮絶な首凝りと肩凝りを感じ、頭痛を発症。少しでも短いルートをとりたいがため、クネクネした道ではなく、目の前にある岩を進んでいた。

 ん? 足が…届かない…。上がれない。だが、引き返すのは嫌だ。必死に足を上げても、上の岩に届かないのだ。ああ~、この進んだ分がもったいない! まさしく「急がば回れ」だ。もがいていると、上から同行スタッフが手を差し伸べてくれた。引きあげてもらって、その岩をクリア。同時に「人は1人じゃ生きられない」を痛感した。

 そう。これが大事。同行約30人のうち、最初に高山病の危険信号が鳴っていたのは、医師免許を持つピン芸人、しゅんしゅんクリニックP(34)だった。

 6合目を過ぎた直後、「やばいっす…。医者のボクが…」。え? よく見ると、しゅんしゅんの唇は真っ青。だが「記者さんも…」。私もすでに高山病予備軍だった。深呼吸を! 足を踏み出すときに息を吐けば吸い込める、強く息を吐いたらその分吸える! などと励まし合い、歩を進めていった。

 やっぱり「1人じゃ生きられない」。8合目を過ぎたあたりからは、ほぼ記憶がない。ただ、覚えているのは、師匠より先回りして、師匠が足を踏み出せば、自分も足を出した-ただそれだけ。無意識にお互いが支え合っていた。登頂成功後、師匠からは「記者さんがいたから、前へ進めた」とも言ってもらった。

 道中、下ってくる登山客、我々を抜いて行く人たちに大勢出会った。ほぼ全員が「こんにちは」「お先に」とあいさつをかわす。それだけでエネルギーになる。「人の基本はあいさつから」も身にしみた。

 痛いぐらいの日差しが注いだかと思えば、当たると痛い大粒の雨。「一寸先は闇」も経験した。登頂時には大雨。でも、言いようのない達成感があった。

 ただし、登ったからには降りなければならない。雨と寒さで体力を削られ、師匠は危険なため、当日の下山をあきらめた。が、私たちには出稿作業があり、下山するしかない。下山を強いられる面々は皆、体力のありそうな男性ばかりで、素人女性は私1人。「絶対、無理だ」。絶望的な気持ちが思わず口をついて出た。すると、師匠の弟子が「あきらめたら終わりです」。降りるしかない。

 一心不乱に駆け下りた…いや、途中から滑り落ちた…ようなものだが、猛者たちに遅れること30分余りでバスに着いた。「神様は乗り越えられない試練は与えない」。心からそう思い、いろんな格言が頭をよぎった富士登山だった。

【村上久美子】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)