日曜日のヒーロー&ヒロイン

伊東四朗 多くの「人」たちとの出会いが財産

大ベテランの伊東四朗が元気です。83歳となった今もドラマ、バラエティー番組の司会、ラジオ、舞台、CMと活躍が続いています。ラジオでは文化放送で計35年を超える長寿番組を持ち、30年以上も親しまれるCMにも出演しています。そんな伊東の原点は21歳で出演した喜劇ですが、60年を超える芸能生活の中で多くの人たちとの出会いがあり、それが大きな財産となっています。

伊東四朗さんにマンガ「笑ゥせぇるすまん」喪黒福造の「ドーン!」をやってもらいました。一瞬で目が覚めました(撮影・中島郁夫)
伊東四朗さんにマンガ「笑ゥせぇるすまん」喪黒福造の「ドーン!」をやってもらいました。一瞬で目が覚めました(撮影・中島郁夫)

★師匠と偶然の出会い

高校卒業後、受けた会社の面接、入社試験に全滅し、早大の生協でバイトしていた伊東青年が初めて会った芸能人が、2代目尾上松緑さん。第1回NHK大河ドラマ「花の生涯」で井伊直弼を演じた大御所だった。

「歌舞伎が大好きだけど、高いんで、ただで入る方法はないかと、いろいろ開発して、はとバスのツアーに紛れ込んだりした。そんな時、友人と2人で台本を書いて、誰かに見てもらおうと、松緑さんに会いに行ったんです。雨の日で長靴履いた、うさんくさい2人を、楽屋に入れてくれた。台本を読んで『あんたたちは楽しんでやりなさい。苦しむのは我々ですから』と言われた。松緑さんは大人物でしたね」

歌舞伎とともに、ストリップ劇場の新宿フランス座で軽演劇を見に行った。そこで、座長石井均さんに声を掛けられた。

「それも偶然で、それがなければ、この世界にいなかった。劇場から出て行くところで、楽屋の石井さんと目があって、『寄っていきなよ』と言われた。3秒か4秒違ったら、声を掛けられることもなく、舞台に誘われることもなかった。直後に生協の正社員になる話があった。ありがたい話で、悩んだけれど、舞台の方を選びました」

三波伸介さん、戸塚睦夫さんと「てんぷくトリオ」を組んで7年目の68年、映画監督の市川崑さんが新聞の元日紙面で「好きな新進」として伊東を紹介した。

「『てんぷくトリオの中の一番若くて一番やせている人、演技開眼したらしく、からだとせりふのタイミングが見事。面白い』と書いてくれた。名前まで知らなかったのでしょうが、ああいう大監督もコント番組を見ていると驚きました。その時からです。誰が見ているか分からない。手は抜けないと思ったのは」

同時期に出演したバラエティー番組「九ちゃん!」で伝説のプロデューサー井原高忠さんにしごかれた。

「妥協しない人でした。私の台本の裏に『コメディアンというのは、歌えば歌手より、踊れば踊り手よりもうまいものなんですよ』と書いてくれた。それだけ高めようということなんでしょう。その台本は今も持っています。鍛えられて、それが財産になった」

70年代、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」に派手な衣装で「電線にすずめが3羽」と歌い踊るベンジャミン伊東で人気だった時、ドラマ出演の依頼が来た。

「まさか、ベンジャミンやっている最中に、第1次世界大戦中の捕虜収容所を描いた大真面目な芝居に呼んでくれると思わなかった。よく幅広くやっていると言われるけど、幅広く使ってくれて、支えてくれた人がいたから、やってこられたと思います」

★ラジオ35年以上

92年に三谷幸喜さんが東京ヴォードヴィルショーに書いた「その場しのぎの男たち」に出演。70歳の古稀記念公演「社長放浪記」は三谷さんが書き下ろした。

「お客さんが『笑ったね。筋はどうでもいいけど』と感想を持ってもらえる、笑い優先の芝居をと話したら、そういう芝居を書いてくれた。入り口が喜劇だから、基本は喜劇役者と思っています。視聴者が番組に投稿したビデオに大笑いしたことがある。法事でお坊さんがお経を読んでいる時、孫が走り回ったので、おじいさんが『うるさい、クソ坊主』と怒鳴って、お経がぴたと止まった。得難いですね。乾いた笑いが好きで、大笑いして帰ってもらうのがうれしいんです」

04年、伊東を慕う後輩の三宅裕司らが奔走し「伊東四朗一座」を旗揚げした。

「座長の器じゃないと断ったけど、三宅さんに『いいサブタイトルを考え付きました』と言われ、それが『伊東四朗一座 旗揚げ解散公演』。1回やって解散すればいいと思ってやったけど、5回やったかな。いいかげんなんですよ」

伊東と同様、笑いからスタートし活躍した志村けんさんが新型コロナウイルスのため70歳で亡くなった。

「ある意味で、私よりすごい人と思っていた。子供から大人まで幅広く、シンパにしてしまう。笑いの神様みたいな人だった。磁石のごとく引きつける、うまいなという言葉を発する暇のない人。会うだけで、見るだけでうれしくなる人。舞台に出ると、客席から『ワーッ』と声があがる。やってくれと言っても、それやってくれないですよ」

80歳超えてもせりふ覚えに苦労しないように円周率は1000桁覚えている。

「新聞のコラムに『円周率30桁を簡単に10分で覚える方法』があって、やってみたら、10分で覚えられた。1時間あれば100桁も覚えられると思ったのが大間違いで、100桁もできて、いけるところまでと思って、1000桁までやった。これ以上やったらバカだからとやめたんですけど。他に世界の国名は199。わざと200にしない。最近は百人一首。イタリアに行った時、『百人一首を覚える方法』を買って往復の間に覚えた。覚えると自分の自信になるんです」

文化放送で84~96年まで「伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド」、97年から「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛」と、ラジオの放送を計35年以上も続ける。

「私をラジオに使った人、勇気がいったと思いますよ、普段はあまりしゃべらない人、黙っていろと言われれば、ずっと黙っている。必要なことを聞かれて、答えるだけで、ぺらぺらしゃべる人じゃない。ラジオの生放送の面白さは『今』にあるんですよ。失敗もあるけど、生がいいね」

ヤクルト「タフマン」CMは85年から出演する。最初は人気CMディレクター市川準さんの演出だった。

「あの時はコンテがなくて。現場にサウナ、バー、洗面所のセットがあって、サウナで太った社員、バーではマダムと何かやってくれという。混乱しましたね。終わった後、市川さんに文句を言おうと思ったんですがCMの賞をとって拳の行き先がなくなった。追い詰めて何かやるということだったのでしょう。私もうろたえてはプロじゃないというのがあった」

好きな言葉は「おごれる者久しからず」という。「平家物語」冒頭の一節で、自分への戒めとしているが、昨年、ルーツを探るNHK「ファミリーヒストリー」で意外な事実を知った。

「父方が平家の末裔(まつえい)だった。先祖のことは知らなかったので驚きました。『平清盛』で白河法皇をやったけど、平家顔だったんでしょうかね」

人生100年時代。おごることなく、長い芸能生活で得た「人」を財産に、伊東はこれからも歩んでいく。【林尚之】

▼文化放送「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛」(土曜午後3時)で共演する吉田照美(69)

伊東さんは博覧強記の方です。番組での発言に、まず間違いがありません。記憶力もすごすぎます。いまだに学生時代の出席簿のクラスメートをソラんじる人なんていますか? 時には文科省にも物申します。一番印象に残っているのが、漢字の「保」という字。これは、オカシイと主張されています。僕も、口の下は、カタカナのホと学校で習いました。木は、ありえません。この「保」問題。今も、僕は、伊東さんと共闘しています。

▼文化放送の水谷加奈アナウンサー

伊東さんとのお付き合いは、入社1年目の研修期間をすっ飛ばして出た「あっぱれ土曜ワイド」以来です。当時の番組プロデューサー三木明博さん(文化放送前社長)から「伊東さんを1人の男と思って接しろ。ラジオは男と女の会話をしないと面白くないんだ」と教えられました。以来、私は伊東さんを1人の男性として見ています。寡黙で気遣いのできる方。伊東さんには一生番組を続けてほしい。覚悟してください! あと男と女の関係も…。いつかフライデーに撮られてみたい。

◆伊東四朗(いとう・しろう)

1937年(昭12)6月15日、東京都生まれ。58年に石井均一座に参加。62年に軽演劇仲間の三波伸介、戸塚睦夫と「てんぷくトリオ」を結成。その後、ベンジャミン伊東として「電線音頭」「ニン」などのギャグも流行。「伊東家の食卓」やドラマ「おしん」「笑ゥせぇるすまん」「平清盛」、映画「マルサの女」に出演。主演のテレビ朝日系「おかしな刑事」が20日夜に放送された。

◆伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(パッション)

1997年4月放送開始。文化放送水谷アナを交え人生の悲喜こもごもを笑いと常識から斬るトーク番組。不条理な出来事に雷を落とす「タフマン伊東の堪忍袋」、伊東と吉田のコント「オヤジ大学」は名物コーナー。

(2020年9月20日本紙掲載)

 
 
 
 

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