作家でミュージシャンの辻仁成(60)が、1992年に亡くなった歌手尾崎豊さん(享年26)との思い出を振り返り、尾崎さんが語った言葉を明かした。

辻は19日、ブログを更新。20代の頃、滞在していた米ニューヨーク・マンハッタンのホテルに、同時期に現地に滞在していた尾崎さんが訪ねてきた際のエピソードをつづった。

それまでも「リハーサルスタジオやフェスなんかでよく一緒になり、べたべたつるんだことはなかったけれど、たまに下北なんかで飲んだりしていた」という尾崎さんとホテルの屋上に寝転んで、買ってきたビールを夜中まで飲み、語り合ったという。「とにかく語り合うことが終わらなかった。彼が仕事に対する不満を抱えていたのは確かで、(ここには書けない)、もしかすると、ぼくがちょっと年上だったから、そこが東京じゃなくニューヨークだったからこそ、彼は心のもやもやを吐き出したかったのかもしれない」と振り返った。

続けて「その時、尾崎は『もしかすると、もう音楽をやめてもいいかなって思っている』というようなこを言った。『寂しいこと言うなよ。ファンが聞いたらがっかりする』とぼくはいさめた。でも、その後に、尾崎はこう付け足したのだ。『世界はこんな風に広いんだから、でも、自分は世界一のラーメン屋になる自信がある』この言葉は忘れられない」と当時の会話を明かした。

その時、辻は「いいじゃん」と同意したが、尾崎さんはラーメン屋を始めることなくこの世を去った。尾崎さんとはこの日以来、会っていなかったという辻は、訃報に触れた際、この屋上でのことを思い出したという。「屋上の囲い壁の内側に世界中の旅人がずらっと名前を残していた。真っ黒になるくらいの落書きで、あれがストリートペインティングの走りじゃないか、と思うほど、芸術的でもあった。そこでぼくらはいたずら心と若さのせいで、尾崎豊、辻仁成、と小さくペンで落書きしたのだ。(ごめんなさい)さすがにあれから30年が過ぎたので、もう残ってないとは思うけど、あいつの白い歯をむき出しながら無邪気に笑ったその時の横顔が忘れられない。葬儀にぼくは参列をした。『この野郎、世界一のラーメン屋はどうすんだよ』と思いながら、ぼくは手をあわせた」と述懐し、「ぼくはまだ生きている。母さんがぼくに言った『ひとなり、死ぬまで生きなさい』という言葉に従って」とつづった。