イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のドラマー高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが、11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。70歳。所属事務所が15日、発表した。20年夏に脳腫瘍の摘出手術を受け、闘病中だった。ソロ活動のほか、多くのアーティストとコラボ、ファッションデザイナーとして自身のブランドも持つなど多彩に活躍した。喪主は妻の高橋喜代美さん。後日、お別れの会を執り行う予定。
高橋さんの信念の1つに「新しいことを拒否する人、興味を持たない人は仲間ではない」がある。
YMOのテクノサウンドは当時、まさに“新しいこと”だった。セッティングにもこだわった高橋さんのドラム演奏は、ロボットのようになりがちな電子音に、命の鼓動を与えた。卓越した技術があったからで、音楽関係者はその演奏を「一瞬にして誰がたたいているか分かる」と評した。
高橋さんはクリック(メトロノーム)を流して、正確に演奏できた。それはテクノの原点。経験豊富なミュージシャンは「それではグルーブ感が生まれない」とバカにしたが、だからこそ「ライディーン」のような大ヒット曲が生まれた。
小学校5年生の時のクリスマスプレゼントだったドラムセットが、洋楽に引き込んだ。ビートルズに衝撃を受け、洋楽の洗礼を受けた。「日本人にロックはできない」というコンプレックスを、数多くの仲間と打ち破ろうとした。その連帯の経験が多くのバンドやユニットで活動し、他のアーティストをプロデュースする意識を生んだ。
発想は独特だった。芸大生だった坂本龍一と会った印象から「プロフェッサー(教授)」という愛称を付けた。YMOが解散する時「解散と言うとファンは驚く」と「散開」(散らばること)という表現を提案した。ファッションのように、音楽も流行を追い続けた。間違いなく希有なミュージシャンだった。【笹森文彦】
◆高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)本名同じ。1952年(昭27)6月6日、東京都出身。武蔵野美大中退。立教高在学中からスタジオミュージシャンとして活躍。72年に加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドにドラマーとして参加。78年にYMOを結成し、世界ツアーを行うなど、全世界にテクノポップ旋風を起こす。その後YMOは解散、再結成を繰り返す。87年に前夫人と離婚し、その後喜代美さんと再婚した。兄は音楽プロデューサーの高橋信之氏。血液型A。
○…YMOで活動をともにした音楽家の坂本龍一(70)は高橋さんの訃報が伝えられた後のタイミングで、ツイッターにグレー1色の画像を投稿した。文章などは記さなかったが、盟友の死を悼む心情を示唆した。坂本も昨年6月にステージ4のがんを公表するなど闘病中であることを明かしている。YMOの世界ツアーやレコーディングに参加したミュージシャン矢野顕子(67)も自身のツイッターに「YMO Goes Forever.」(YMOは永遠です)と記した。矢野は坂本と1982年に結婚し、06年に離婚している。



