神奈川県大磯町の旧吉田茂邸が、想定を上回る人気になっている。戦後日本の礎を築いた吉田茂元首相が、89歳で亡くなるまで住んでいた邸宅で、さまざまな外交の舞台ともなった。09年に焼失したが、大磯町が中心になって再建し、今年4月から一般公開されている。同町は年間入場者を3万人と見込んでいたが、2カ月足らずで達成。7月末までに5万人を突破したという。

 「兜(かぶと)門」をくぐると、見事な日本庭園が広がっていた。この門は、サンフランシスコ平和条約締結を記念して建てられ、「講和条約門」とも呼ばれている。

 庭園を歩いて邸宅へ。玄関を入ると右手に「楓(かえで)の間」がある。暖炉の前に応接セットが置かれ、吉田はここで客人たちと応対した。79年には大平首相とカーター米大統領の日米首脳会談がこの部屋で行われた。

 吉田は46年から5度にわたって内閣を率い、戦後復興や日本の独立に力を尽くした。一方で、「ワンマン吉田」とも呼ばれ、「バカヤロー解散」など逸話は多い。しつこいカメラマンにコップの水を引っ掛けたこともある。首相退任後も、さまざまな要人が吉田邸を訪れて助言を求め、「大磯詣で」の言葉も生まれた。

 この邸宅は、もともと吉田の養父の実業家、吉田建三が別荘として建てた。吉田は45年ごろから亡くなるまで、ここを自宅として過ごした。建築家・吉田五十八(いそや)が設計した新館は、近代数寄屋建築の傑作とされる。09年に原因不明の火事で焼失したが、大磯町が中心となって再建した。

 2階の「銀の間」は、晩年の吉田が寝室として使っていた部屋。天井、ふすまなど部屋全体に銀色があしらわれている。ベッドの脇に大きな窓があり、秋から冬にかけては富士山がくっきり見える。67年10月20日、吉田はこの部屋で心筋梗塞で死去した。亡くなる前日も、窓から富士山を一日中眺めていたという。

 1階には展示・休憩室が設けられ、「バカヤロー」の文字をかたどったユニークなオブジェや、葉巻形のベンチも置かれている。葉巻は吉田のトレードマークの1つで、会談したマッカーサーにフィリピン産を勧められ、「私は(最高級の)キューバ産しか吸わない」と断ったという逸話も。書斎には、首相官邸直通の黒電話のレプリカも飾られている。

 庭園を少し歩くと、太平洋に面した小高い場所に吉田の銅像がある。83年、地元・大磯の有志が建立した。着物姿の吉田が見ているのは海ではなく、なぜか松林。実は視線の遠い先には、吉田が平和条約調印で訪れたサンフランシスコがあるのだという。

 4月にオープンして、入場者は7月末までに5万人を突破。大磯町の想定をはるかに上回る人気になっている。担当者は「吉田さんを実際に知っていらっしゃる70、80代の方が多いですね」と言う。取材した日も高齢夫婦、子連れのファミリーなど幅広い層が訪れていた。

 亡くなって50年。首相時代はさほど人気がなかったといわれる吉田だが、現代の政治家が軽く小粒になる中で、その重厚感や個性があらためて注目されているのだろうか。【田口辰男】

 ◆旧吉田茂邸 開館は午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)。月曜(祝日・休日の場合は翌日)、毎月1日、年末年始休館。観覧料は一般500円、中高校生200円。JR東海道線大磯駅からバス利用が便利。神奈川県中郡大磯町西小磯418、【電話】0463・61・4777。

 ◆バカヤロー解散 1953年2月、第4次内閣を率いていた吉田は衆院予算委で質問者の社会党右派・西村栄一に対し「バカヤロー」と発言。これをきっかけに内閣不信任案が提出され、与党自由党の分裂もあって可決。衆院を解散した。