平野歩夢(27=TOKIOインカラミ)は全力尽くすもメダルには届かなかった。1月17日に骨盤が折れるなど、出場だけで「奇跡的」と自身でも驚く逆境の中で決勝進出。決勝でも最善を尽くした。1回目は転倒も2回目は大技のダブルコーク1620をメークして86.50点をマーク。逆転をかけた3回目は転倒で4大会連続の表彰台はならなかったが、感動を呼ぶ奮闘ぶりだった。

試合後にインタビューに応じ「自分の全てがチャレンジでしかない3回だった。生きるか死ぬかのような覚悟で臨んだ。最後決められなくて納得した結果にはならなかったけど、今の状態の中では出し切れたのかな」と振り返った。さらに「ここで初めてやるトリックとかで挑んだので、無事にケガがなくてホッとするところはある。生きてて良かった」と語った。

予選では今季習得した斜め軸の新技「スイッチバックサイドダブルコーク1260」や横4回転技をフルメークで予選突破。「もうここまで来た以上は、自分が積み上げてきた4年間を信じて、やるべきことをやるだけなのかな」と自分を信じて決勝に挑んだ。

試練に立ち向かった。五輪前最後の実戦となった先月17日にスイスで行われたW杯。決勝で板が折れ曲がるほど激しく転倒し、複数箇所の骨折や打撲の診断を受けた。それでも、かねて「自分を超えることが目標」と話した27歳は、諦めなかった。トレーナーの松栄勲氏が自身のインスタグラムで「4日目まで松葉杖を手放せませんでしが、すごい回復力を見せています! もちろん骨折はすぐにくっつくものではありませんが、痛みなく動ければ最高です」と驚く、驚異の回復力で本番に臨んでいた。

昨年3月に自身の公式サイトで結婚とお相手の妊娠を発表。第1子の存在が勇気を与えてくれた。平野は「海外遠征からも無事に帰って来られるっていう保証がない中で、年々命がけで生活していかないといけない思いは強かった。その中で子供が生まれて、より自分の命への重みが強まった」と語っていた。揺るぎない覚悟と決意で、4度目の冬季五輪で力を尽くした。

◆平野歩夢(ひらの・あゆむ)1998年(平10)11月29日、新潟県村上市生まれ。TOKIOインカラミ所属。家族の影響で4歳からスケートボードとスノーボードを始める。村上一中から開志国際高を経て、日大スポーツ科学部卒。スノーボードのハーフパイプでは中学3年時の13年W杯で初優勝を飾り、五輪では14年ソチ、18年平昌と2大会連続銀メダル、22年北京で金メダルを獲得。21年東京五輪ではスケートボードで日本人5人目の夏冬出場を果たした。