サッカーU-23日本代表が今日16日、パリ五輪切符が懸かるアジア最終予選兼U-23アジア杯カタール大会初戦の中国戦に臨む。日本を率いる大岩剛監督(51)は15日、ハリファ国際スタジアムで1次リーグB組で対する中国、UAE、韓国各代表監督との合同会見に出席。8大会連続での五輪出場権奪取に向け、初戦への準備の重要性を強調した。その指揮官の素顔を“親友”のA代表コーチを務める名波浩氏(51)が、出会いからの思い出を振り返りながら紹介。1~2月のアジア杯で歴代最低8強に終わったサムライブルーの悔しさを晴らしてもらうべく、11歳から知る同級生の指導者にエールを送った。【取材・構成=佐藤成】

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2人は互いを「剛」「浩」と呼び合う。名波コーチは、大岩監督との関係を「まあ親友だよね」と、ためらいなく明かした。

出会いは小学5年。静岡県内の市選抜大会で、藤枝市選抜として出場していた名波少年は、清水市(現静岡市)との試合前に、大岩少年をはっきり認識していた。「試合前の選手紹介で、チームメートが大岩という名字がめちゃ強そうじゃんと。しかも剛って名前。そのインパクトで頭に入ってきたというのが最初」。

そこでは話すこともなかったが、中学に進むと県や東海地方の選抜でともにプレー。仲が深まったのは、名波氏が清水商(現清水桜が丘)への入学を決めた中3の冬に参加した清水市選抜だった。「そこで仲良くしてくれたのがJリーグチェアマンの野々村(芳和)と大岩なんだよ」。中学までのポジションは同じ中盤で「テクニックと頑張り屋の両方が合わさった感じ」。名門清商で同級生となると、大岩少年はサイドバックに転向。1年時から出場機会を得て「うらやましかった。自分も2、3年と一緒にやるようになって、勝ちたい意欲、試合に出たい熱が俺よりも勝っていたんだなとすごく感じた」。

大学では名波コーチが順大、大岩監督が筑波大に進んだが「学生選抜でも一緒。切磋琢磨(せっさたくま)してきたパートナー。ライバルを超越した感じの仲だった」と懐かしんだ。

そしてプロの道に進み、指導者となり、50歳になってから同じ「職場」で働くことになった。偶然か必然か。「ポイチさん(森保一監督)に誘われて、1カ月以上悩んだけど、最終的には剛が五輪代表監督やっていたから、後押ししてくれたところはある」と、その存在の大きさを認める。

迎えるパリ五輪アジア最終予選。間近で見てきた親友の魅力を「譲れないところ、熱量がありながら、人の意見を受け入れられるところ」と分析する。そして、監督としての仕事ぶりは、こう評した。「(国際Aマッチデー外で)思うように欧州組は呼べない中で予選を戦わないといけない。でもそれを愚痴らない。クラブとの話の中で進捗(しんちょく)具合をみながら選考していく姿は職人。俺なら『なんであいつ来ないんだよ、一生に1回だぞ』と言っちゃいそう(笑い)」。

自身は順大1年時の92年に、バルセロナ五輪アジア最終予選(マレーシア)を戦った。「一番ペーペーでずっとポカリを作っていた」と笑いながらも、1勝1分け3敗で敗退したことは悔しい記憶として刻まれている。「アジアの難しさってピッチ環境とか、気温とか、お客さんの雰囲気、宗教的なもの、いろいろなものが試されて戦わないといけない。プラスからのスタートはほとんどないと思った方がいい」。

その舞台で親友が指揮を執り、8大会連続五輪出場権獲得の重圧と闘う。「剛は監督としていろいろな権限を持った中で戦える厳しさ、難しさ、楽しさ、すごさっていうものを全部併せ持った感情になるんじゃないかな」と想像した。

今でもよく食事に出かける。話題はサッカーばかり。いつの間にかテーブルは作戦ボードに変貌し、コースターがマグネット代わりになる。今回も出発前に昔からの仲間でプチ壮行会を行った。伝えたのは「頑張って来いよ」というシンプルな言葉。開催地は、くしくも1~2月に開催されたA代表のアジア杯と同じカタール。名波コーチが8強敗退で味わった悔しさを、大岩監督が五輪切符獲得で塗り替える。

◆大岩剛(おおいわ・ごう)1972年(昭47)6月23日、静岡県清水市(現静岡市)生まれ。清水商-筑波大-名古屋-磐田-鹿島でプレー。J1通算386試合出場10得点。日本代表としては3試合無得点。10年に現役引退。11年から鹿島コーチ。17年途中から監督に昇格し、リーグ制覇。18年にACLで初優勝。21年4月にU-18代表、同年12月にU-21代表監督に就任。180センチ。

◆名波浩(ななみ・ひろし)1972年(昭47)11月28日、静岡県藤枝市生まれ。清水商-順大-磐田-ベネチア-磐田-C大阪-東京V-磐田。98年W杯フランス大会に出場。J1通算314試合に出場し34得点。日本代表では国際Aマッチ67試合9得点。08年に現役引退。14年9月に当時J2磐田の監督に就任し、翌15年にJ1昇格を果たす。21年からはJ2松本の監督を務める。23年から日本代表コーチ。177センチ。

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