もう、いいんじゃないか。3年前のオフだった。私はサッカー元日本代表MF小林大悟(39)に“引退”を促した。

2019年1月、深夜に大真面目に語り合った。大悟は「引退する理由がないんだよ。まだプレーできているし、プレーする場所もある」と言った。

   ◇   ◇   ◇

18歳でプロ入りしてから、国内3クラブ、欧州2クラブ、北米4クラブを渡り歩いた。この夜は米2部リーグに相当するUSLチャンピオンシップのバーミングハムでの新シーズンのために渡米する2日前だった。

大悟と私は中学、高校時代の同級生でサッカー部のチームメートだった。悔しくて流した涙も、うれしくて突き上げた拳も、初恋の相手も互いに知っている。結婚披露宴では友人代表の余興として音痴を承知でケツメイシの「幸せをありがとう」を歌った。早朝からコンビを組んだ別の友人(前田和哉)とカラオケボックスでやっつけの練習をしたのが懐かしい。気心知れたとは思っていないけど、思いを言い合える間柄だと自負している。

冒頭のシーンに戻る。大悟は思い立ったように言った。「あと何年先になるか分からないけど『引退する理由』を探してくるよ。それが見つかったら引退だね」。大半のプロ選手は契約するチームがなくなれば引退となる。

一方でカテゴリー、年俸を度外視すれば、現役続行の幅は大きく広がる。「日本に戻ってまたプレーしようとは思っていない。日本がどうこうという意味じゃなくて、自分の中だけのモチベーションなのか、こだわりなのか」。

北米に渡って8年目のシーズンも前年と特に様変わりすることなく過ごした。翌年のオフにも確認した。引退する理由は見つかったのか。

「今年も見つからなかった。それよりさ、本物と偽物ってどうやって見分ける? 本物って何だと思う?」と返ってきた。続けて「サッカーの世界で言えば日本代表が本物でそれ以外は偽物だとしたら、それを世界に広げた場合、日本代表が必ずしも本物とは言えなくなる。そう考えると本物って何だと思う?」。

かつて06年8月にオシム監督率いる日本代表に初選出され、トリニダード・トバゴ戦でA代表デビューした。

中学、高校で全国制覇。プロ入りしてからもサッカーだけに明け暮れた。清水商(現清水桜が丘)時代の恩師・大滝雅良監督からは「これでいいのか。もう十分かと。もっと上を目指せと言われ続けた。よく怒られたし怖かったけど、感謝してもしきれない」。

思春期も青春時代も限界の先を追いかけた。

   ◇   ◇   ◇

もう、いいんじゃないか-。私の問いかけから2年が過ぎた20年オフ。世界の状況が一変した。新型コロナウイルスのパンデミックに襲われた。東京五輪の延期も決まった。

USLチャンピオンシップのバーミングハムでの2年目のシーズンも大幅に開幕が遅れた。例年2月だった渡米は5月にずれ込み「こんなに練習も試合もない時間を過ごしたのは人生で初めての経験だった」。ロックダウン時のサッカーとの関わりは、幼稚園に通い始めた息子と公園でボールを蹴ることぐらいだった。

この数年で人々はマスクが手放せなくなった。密を避け、ソーシャルディスタンスが当たり前になった。21年12月だった。「今回は来年の契約のサインをしてから帰ってきた」と現役を続ける意思を明確に示した。だが、年明けの1月中旬に契約が白紙になったとの一報を受けた。

気の毒だと思い若干、よそよそしく気遣おうとしたが「意外なんだけどショックとか動揺ってないんだよね。スッと受け入れられたというかね」と吐き出した。

別のクラブを探そうとはしなかった。日常的な会話から「サッカー」が消えていった。特別な意識もない。ごく自然に“その時”がきた。

「今月いっぱいで引退を決めました。タメちゃん、ラスト書いてな」

スマートフォンにLINEが入った。笑顔の絵文字も添えられていた。私の感情も大悟と同じで寂しさの類いはなかった。今までとさほど変化もなく、ごく自然そのものだった。

引退する理由は見つかったのかと問いかけた。

「結局、最後まで見つからなかった。本当に探してたんだけど今でも分からない。引退する理由という意味とは違うかもだけど、もっとやりたいことが見つかったっていうのはあるかな。いろんな人との出会いの中で人生としての幅も出てきたと思う。刺激とか影響を受けながら自分の未来をもっと見たいなと思ったのが引退する理由かな」

22年11月、サッカー元日本代表MF小林大悟が現役を引退する。東京V、大宮、清水でJ1通算223試合に出場。欧州はノルウェー・スターベク、ギリシャ・イラクリス、北米のMLSバンクーバー、ニューイングランド、米2部リーグのラスベガス、バーミングハムでプレーした。400試合以上のキャリアを走りきった。【為田聡史】

◆小林大悟(こばやし・だいご)1983年(昭58)2月19日、富士市生まれ。岩松小-東海大一中(現翔洋中)-清水商。中学時代は全国総体で優勝。高校時代は全日本ユースで全国制覇。卒業後は東京Vへ入団。03年にU-20日本代表としてワールドユースに出場し8強。06年大宮へ移籍。同年8月に日本代表オシム監督(当時)の目にとまり、トリニダード・トバゴ戦でA代表デビュー。09年にノルウェー1部のスターベクへ移籍し、公式戦34試合12得点をマーク。10年はギリシャ1部のイラクリスに移籍。11年に清水に、13年にはMLSバンクーバーに完全移籍。14年は同ニューイングランド、18年は同2部のラスベガス、19年はバーミングハムと渡り歩いた。J1通算223試合18得点。国際Aマッチ1試合0得点。家族は夫人と長男。178センチ、73キロ。血液型B。

▼小林大悟が日刊スポーツ公式YouTubeチャンネルのドキュメンタリー映像に登場。恩師のもとへ引退報告に向かった様子や、プロとしてのキャリア、引退を決断するまでの心境を赤裸々に語った。11月3日、午前5時公開。

ドキュメンタリー映像はこちら>>