日本代表FW古橋亨梧(セルティック)ら30人以上のJリーガーを育てた高校サッカーの名門・興国(大阪市天王寺区)の内野(うちの)智章監督(44)が、13日付で途中退任したことが同日、分かった。高校の監督が年度内で交代するのは異例の人事。

内野監督が指揮した興国は、4日に行われた高校総体大阪大会準々決勝で0-2と近大付に敗れ、それが最後の公式戦となった。保健体育の教員でもある同監督は、今後はゼネラルマネジャー(GM)として部に名前は残るが、指導からは一線を退く。

06年から興国の指揮を執る内野監督は、今年が就任18年目。19年度の全国高校選手権に初出場を果たすなど、興国を全国的な強豪にする一方、個人技を重視したプロ仕様の選手を育成し続けた。独自のスタイルを確立させたことで、高体連の指導者としては異彩を放つ存在で、興国は「関西のバルサ(バルセロナ)」とも呼ばれていた。

内野監督が育てた主なOBには古橋を始め、FW樺山諒乃介(鳥栖)、FW永長鷹虎(川崎F)、MF宇田光史朗(横浜FC)ら30人以上のJリーガーがおり、毎年のようにプロに送り込んでいた。その育成方法を紹介する著書も出版するなど、高校サッカー界では超有名な存在だった。

後任監督には、現役時代はJリーグ京都などでプレーし、セレッソ大阪ユース(U-18)や興国でも指導に携わってきた六車(むぐるま)拓也氏(39)が就任する。

◆内野智章(うちの・ともあき)1979年(昭54)5月31日、堺市生まれ。主にMFで初芝橋本(1年時の高校選手権で3年のFW吉原宏太らと全国ベスト4)、高知大を経てJFL愛媛(現J3)に入団。退団後は関西社会人リーグの奈良・高田FCで仕事と掛け持ちしながらプレー。05年に興国の非常勤講師に、06年に監督に就任。高体連の部活とJリーグ(ユース)の長所を融合させた、ハイブリッド式指導を確立させた。