色あせぬ煌めき

ジャネット・リンの振る舞いが長光歌子氏の考え確立

日本の歴史を紡いできたフィギュアスケーターや指導者が、心を動かされた演技を振り返る「色あせぬ煌(きら)めき」。ニッカンスポーツ・コムが新設したフィギュアスケート特集ページ「Figure365(フィギュア365)」で連載中の第9回は、10年バンクーバーオリンピック(五輪)男子銅メダルの高橋大輔(34=関大KFSC)らを指導してきた長光歌子コーチ(69)。人間性を育む教えの土台にあるのが72年札幌五輪。女子銅メダルのジャネット・リン(米国)の振る舞いは、現地で見守った20歳の大学生の考えを確立させた。

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長光の分岐点は、祖母と交わした会話だった。

「成人のお祝いに、着物を買ってあげるね」

20歳の誕生日は、札幌五輪1年前の71年3月23日。ある日、神戸市内に住んでいた祖母の家へ遊びに行くと、そう語りかけられた記憶がある。愛情を受け止めながら、女子大生だった長光は首を横に振った。

「ううん、いい。それだったらお金をちょうだい。オリンピックを見に行きたい!」

8ミリ映写機で映し出される世界に、胸を躍らせた時代だった。長光は66年に全日本ジュニア選手権優勝。だが、限られた国内のトップ選手以外が国際大会へ派遣されることはなく、海外選手の演技を間近で見る機会はないに等しかった。

「神戸から札幌の旅費だけでも高額ですし、なかなか両親に頼めるような金額ではなくて…。着物の話で『このタイミングしかない!』と思ったんですよね。そうしたら祖母が『いいよ』と言ってくれました」

小3から小4に上がる60年春にスケートを始め、12歳からはコーチの田中鉄太郎に師事していた。五輪を前にし、恩師に促された。

「『本番より練習を見なきゃね』って言われたんです。田中先生を含めた関西の先生方と私で、札幌に向かいました。宿は別でしたが、行動はずっと一緒。1週間前ぐらいに現地へ入り、リンクに通いました」

目の前で練習する男子選手の踊りに、心をつかまれた。自由で個性的な表現に、気付けば見とれていた。

一方、現役の目線では女子選手の滑りに引き込まれた。それが、リンだった。

「私は好きなものしか見ないタイプなんですが、スケーティングで描く弧が、本当に美しかったんです。周りと比べても、ずばぬけていました。柔らかい足首と膝をしなやかに使って『バッククロスを見ているだけで十分…』という次元の滑りでした」

72年2月、札幌五輪フィギュアスケート女子で銅メダルのジャネット・リン
72年2月、札幌五輪フィギュアスケート女子で銅メダルのジャネット・リン

今も語り継がれる72年2月7日の女子フリー。練習で魅力を知ったからこそ、本番が楽しみで仕方がなかった。だが、リンはシットスピンで転倒。尻もちをつく痛恨のミスがあっても、米国の18歳は笑っていた。

「ニコッとして立ち上がった時に『私より若いのに、本当にすてきだな』と思いました。作った笑顔ではなく、自分の中からわき出てくるような表情でした」

衣装は赤のタートルネック。シンプルだった。

「体の線がすごくきれいに見えるんですよね。細かな装飾がなく、それも彼女の良さを引き立たせていました。そこにおかっぱの金髪が揺れて…。普段、衣装ばかりを気にして『あれがいい』『これがいい』と言っていた年頃の自分にとって、本当に新鮮でした」

夢のような時間が流れていたが、日常は朝6時からコンパルソリー(規定)を練習する日々。ジャンプに悩む毎日が続き「苦しいことの方が多かった」と振り返る。札幌五輪から数カ月が経過した春、選んだのは現役引退だった。迷わず指導者の世界へ飛び込んだ。

それから、あっという間に四半世紀が過ぎていた。

99年夏。仙台のリンクで行われた恒例の合同合宿へ、大阪から教え子を連れて参加した。そこで、初めて高橋大輔と出会った。岡山・倉敷市からやって来た中2の少年は、体全体で曲を奏でているようだった。

踊れる男子を育てたい-

札幌五輪以来抱いていた夢を、一緒に追える存在だった。2人で世界各地を飛び回り、表現の引き出しを増やした。

世界の頂へと歩む過程で、何度も伝えてきたことがあった。そこに影響を与えていたのが、あの日のリンだった。

「札幌でジャネット・リンの振る舞いを見て、人間性というのは、とっさの時、マイナスのことが起きた時の態度に出ると分かりました。2002年のソルトレークシティー五輪のアイスダンスでも、ビクター(・クラーツ)が最後の最後にバランスを崩し、シェイリーン(・ボーン)ともども転んでしまいました。あの時もビクターにキスをして立ち上がった、シェイリーンの笑顔がすてきで、彼女の人間性に震えました。大輔にも『悪いことがあった時に、人間性が出るよ』とよく言ってきました」

高橋がアイスダンスに転向した今も、長光は関西を拠点に多くの選手へ指導を続けている。コーチを志すきっかけとなった48年前から、信念はぶれていない。

「スポーツ選手として、みんなが日本代表になれる訳ではありません。人間の根本の部分を高めるために、スポーツがあると思います。選手をやめてからの方が人生は長いです。人間としての鍛錬だと思います」

「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と呼ばれたリンは、五輪後もCMへ出演するなど注目の的だった。だが、長光は「CMは全く覚えていないんです」と苦笑した。心に残ったのはスケートであり、自然な姿だった。

「札幌の演技は…。私にとっての『宝物』です」

その残像は色あせない。(敬称略)【松本航】

高橋大輔と二人三脚で歩んできた長光歌子コーチ(2019年11月27日撮影)
高橋大輔と二人三脚で歩んできた長光歌子コーチ(2019年11月27日撮影)

◆長光歌子(ながみつ・うたこ)旧姓藤本。1951年(昭26)3月23日、神戸市生まれ。兵庫・芦屋高から武庫川女子大へ進み、72年札幌五輪後のコーチ転向を機に中退。99年夏から高橋大輔を指導し、10年バンクーバー五輪では日本男子初の表彰台となる銅メダル。同年3月の世界選手権で初優勝。14年の現役引退を経て、復帰を果たした18年からの2シーズンも指導した。現在は三宅星南、岩野桃亜らを担当。

◆ジャネット・リン 1953年4月6日、米イリノイ州シカゴ生まれ。歩き始めたと同時にスケートを始め、4歳でエキシビションに出場。66年の全米ジュニア選手権で、世界でトップ選手しかできない3回転サルコーを決めて優勝した。14歳で出場した68年グルノーブル五輪で9位、72年札幌五輪で銅メダル獲得。69~73年まで全米選手権5連覇。73年に女性アスリートの当時最高額145万ドルでプロ転向。98年には長野五輪の親善大使を務めた。01年に世界殿堂入り。155センチ。

日本の歴史を刻んできたフィギュアスケーターや指導者が、過去に最も心を動かされた演技を振り返る連載です。名選手、名コーチ、競技発展に尽力してきた功労者の今なお色あせぬ記憶を通じて、氷上の煌めきをファンの皆さまと共有できればと思います。

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