夏冬通じて日本女子最多のオリンピック(五輪)メダル通算10個を誇るスピードスケートの高木美帆(31=TOKIOインカラミ)が6日、都内で引退会見に臨んだ。

主な一問一答は以下の通り。

-挫折と感じたことは

高木 私の中で挫折っていうものの定義みたいなものが、自分で最大限、努力をした結果、思うような結果ではなかったり、それを乗り越えられなかったりすることなのかなっていうふうに思っているので、今まで困難とか苦しい時期っていうのは確かにあったけど、私の中ではそれらを糧にして、次の自分への成長につなげられたというふうに思っている。大きな挫折、自分がどうしようもないくらい、自分のこともコントロールできないぐらい大きな挫折を味わったっていうような経験は今のところ感じていない。じゃあ最後の五輪の1500メートルはどうだったんだって言われると、あれは挫折ではなくて、自分の中の結果だと思って受け止めている部分もあるので、求めていたものに届かなかったっていうものはあるけど、ちょっと挫折とは違うなっていうふうには思っている。

-仮定の話だが、30年の五輪がもし札幌で開催されていたら、引退の決断が変わっていた可能性は

高木 ないと思う。あまりそういうことを理由に自分のスケート人生の進退を考えてきたわけではないので。そうであったとしても、私の気持ちは変わらなかったと思う。

-自身にとって五輪とは

高木 今季終わってからも私にとっての五輪っていうのを他の大会と何が違うのかなっていうのは結構考えてきた。理由は私にとって、五輪に出場する時と、例えば世界記録を狙いに行ったりとか、オールランド選手権に出る時のような気持ちとは違う時間が流れている。やっぱり五輪はどうしても勝ちたい場所で、他の大会は例えば速く滑りたいだったり、強者たちと戦いたい、そこでどこまで結果が残すかチャレンジしてみたいっていうような気持ちがあって、そういう違いもあったりする。まだ自分の中では答えは出てないけど、自分をここまで強くさせてくれたのがオリンピックなのかなっていうふうには思っている。最終的に私がここまで強くなれたのは、どうしても勝ちたいと思う五輪があったからなのかなっていうふうに思っているので、一言で表すのは難しいけど、自分にとってはそういう存在だったなって今は思う。

-シーズン終了した3月からここまでで、現役時代にできなかったことでやったことは

高木 時間を気にしないで過ごすようになっていうことがひとつ。それは自分にとってすごく大きな変化でもある。食事に対してのすごく細かい節制がなくなった。特にこの最後の2、3年間は自分の体のコンディションの問題もあったので、休みの日でも食べるものっていうのは特に気をつけてはいた。今はもし体調が悪くても大丈夫、後でリカバリーかければいいみたいなぐらいで食事を楽しめるようにはなっているところもある。

-94年生まれには羽生結弦さんや大谷翔平投手ら。誇らしさや仲間意識、刺激は

高木 たくさんの刺激をもらった。特にわかいころはよし、私も負けないぞっていう気持ちになることが多かったし、年齢を重ねてからは彼ら彼女らが頑張っているな、私も頑張ろうって力をもらうことが多かった。そういった面でも恵まれた年代に生まれてこれたなっていうのは強く感じる。