井上尚弥はなぜ強いのか 藤井聡太にも感じる天才たちの共通点

プロボクシングWBA、IBF世界バンタム級王者の井上尚弥(29=大橋)が6月7日、さいたまスーパーアリーナでWBC同級王者ノニト・ドネア(39=フィリピン)と統一戦に臨む。2年7カ月ぶりの再戦で、井上が前回に続いて勝利すれば、日本人初のパウンド・フォー・パウンド(PFP=体重差が同じと仮定した世界最強)ランキングのトップに躍進する可能性がある。井上はなぜこれほど強いのか。歴代世界王者と比較してどの位置にいるのか。60年以上のボクシング観戦・取材歴を誇る共同通信の津江章二氏、日刊スポーツの元ボクシング担当の首藤正徳、現担当の藤中栄二が座談会で語り尽くした。

バトル

首藤正徳、藤中栄二

<ドネアとの統一戦直前企画㊤ボクシング記者3人が語り尽くす>

左から元ボクシング担当の首藤正徳、共同通信の津江章二氏、現担当の藤中栄二

左から元ボクシング担当の首藤正徳、共同通信の津江章二氏、現担当の藤中栄二

パウンド・フォー・パウンドの頂点へ

首藤 井上尚弥は現在、PFPランキングで3位にランクされています。つまり全階級の現役世界王者の中のベスト3。今回のドネア戦に完勝すれば、トップにランクされる可能性もあります。今や彼の強さは世界が認めています。なぜ井上はこんなに強いのでしょうか。

津江 他の世界王者との明らかな違いはスピード。ジャブもフィニッシュブローもハンドスピードがずばぬけている。瞬発力が違う。その上でパンチにパワーと切れがある。不思議なほど欠点がない。

藤中 スピードに加えてパワーもある。スパーリングで相手が倒れるのを何度も見ました。長くボクシングを取材していますが、他の選手同士のスパーリングで倒れるのはあまり見たことはないですね。

津江 スパーリングは試合ではないから全力ではやらない。グローブも大きい。それでも倒せるというのはすごいね。彼のすごみはワンパンチでKOできるところ。

藤中 象徴的なのが18年10月のWBSS1回戦の元WBA世界バンタム級スーパー王者ファン・カルロス・パヤノ戦。高速ワンツーの一撃で初回1分10秒でKO勝ちしました。それが日本人世界王者の最短KOになっています。パヤノはプロキャリア初のKO負けでした。

津江 あれは試合開始のゴングが鳴って彼が初めて出したパンチでKOした。ジャストタイミングで。日本人にはできないKO劇だった。

首藤 確かにスピードもパワーもあるが、今、この瞬間というチャンスを瞬時に判断して、ためらいなく踏み込んで打ち込める。ひらめきと、タイミング、勇気。そのセンスがすごいと思う。

津江 彼がアマチュア時代にトップ選手たちが「井上は今までのボクサーと全然違う」と話していたから、もともと持って生まれたものが違うと思う。その素質に加えて、彼はよく練習をするからね。

藤中 瞬時にちゅうちょなくパンチを打ち込めるのは、それだけ集中力が高いからだと思う。彼が他の選手と違うのは、ジムで話し掛けても、全然反応してくれない時がある。無視しているわけではなくて、それだけ集中しているんです。本当にすごい集中力で練習している。トレーナーの父親も練習からピリピリした空気をつくって、その空気が私にも伝わってくる。しかも、そのピリピリした感じが、キャリアを重ねるごとに増している。試合はさらにすごい集中力だと思いますね。

津江 ボクシングに限らず、天才というのは集中力だとよく言われますよね。

19年11月WBSS決勝 8回、ノニト・ドネア(左)と激しい打ち合いをする井上尚弥

19年11月WBSS決勝 8回、ノニト・ドネア(左)と激しい打ち合いをする井上尚弥

前回ドネア戦は名勝負

首藤 スピードやパンチ力ばかり注目されるけど、井上は集中力をはじめメンタル面での強さ、タフネスも備えていますよね。

津江 19年11月に行われた前回のドネア戦で、2回に強烈な左フックを浴びて、彼は初めてピンチに陥りました。私はこのまま負けてしまうと思った。目尻も切って、眼窩(がんか)底骨折に鼻骨も骨折していたから。レフェリーがストップしてもおかしくない状況だった。でも、あの窮地から立ち直って、ダウンを奪って勝った。彼の底力を見せた名勝負だった。

藤中 精神力の強さは天性としか言いようがない。最近、彼は防衛戦をこなす上でモチベーションの保ち方をすごく考えている。ドネア戦後、20年10月にラスベガスで行われたWBO世界バンタム級1位モロニーとの一戦は、ボクシングの本場ラスベガスで防衛することをテーマにしていた。昨年12月の世界戦は2年ぶりに日本で行われる防衛戦でいい試合をすることがテーマ。相手とは別にテーマを掲げないと、モチベーションを維持するのが大変だと話していました。その意味で今回のドネア戦は、相手が大きなモチベーションになっている。「気持ちをこれだけ変えてくれた」と本人も話していたから。

首藤 彼は練習したものを、そのまま世界戦のリングで出せているように思う。世界戦は対戦相手、重圧、注目度など、ふつうの試合とまるで違うので、気負って本来の力を出し切れない選手も多いけど、彼は平常心でリングに立っている。

19年11月WBSS決勝 ノニト・ドネアに勝利し、カップを力強く掲げ、雄たけびを上げる井上尚弥

19年11月WBSS決勝 ノニト・ドネアに勝利し、カップを力強く掲げ、雄たけびを上げる井上尚弥

5つのベルト前に平然

津江 私は将棋も担当なので、藤井聡太も取材していますが、井上尚弥と藤井聡太には一つ大きな共通点がある。2人ともタイトルや名誉が欲しいというのではなく、とにかく将棋、ボクシングがすごく好きで、その道を究めたいと思っていること。そこがすごく似ていると思いますね。

藤中 3階級を制覇した井上は、WBC、WBA、IBF、WBOの4団体と、米リング誌から贈られたものを含めて、5つのベルトをすべて持っている。5本並べて撮影する機会があったけど、ふつうは達成感に浸ったりするものですが、彼にはそんな感じはなくて、それほどうれしそうな様子でもなかったですね。

叡王戦初防衛を果たし、花束を手に記念撮影する藤井聡太叡王=22年5月24日

叡王戦初防衛を果たし、花束を手に記念撮影する藤井聡太叡王=22年5月24日

津江 藤井も今5冠だけど淡々としている。報道陣やファンの方が興奮している。でも、それが彼の強みで、すごみにつながっていると思う。

藤中 藤井は対局、井上はリングの中で試合に勝つこと。それだけがテーマ。その先に4階級制覇とか結果がついてくるという考え。名誉とかお金ではないんです。彼の理想の試合は「どっちが勝つか分からない試合」なんです。どっちが勝つか分からない試合をして、そこで勝ちたいと。今回のドネア戦も前回勝っている井上有利と言われているので、彼にとって真の理想の試合ではないんです。これだけ勝ち続けていても、彼は負けをまったく恐れていないんです。

津江 藤井も負けを全然恐れていない。一緒だなと思う。防衛回数や何階級制覇とかにこだわって戦うことも全然悪いことではない。でも井上は今までのボクサーとは別次元にいるんだと思いますね。