◆ジョーダンのNBA足跡◆ |
1982年 | 3月29日 ノースカロライナ大1年時、パトリック・ユーイング率いるジョージタウン大とのNCAA決勝試合終了残り17秒で、「ザ・ショット」と呼ばれる劇的な逆転決勝シュートを決める。63−62で優勝。 |
1984年 | 9月12日 NBAドラフト全体3位でブルズ入団 |
1984−85年 | 平均28.2得点で新人王獲得。オールスター戦に出場も、ほとんどボールを回してもらえない洗礼浴びる。 |
1985−86年 | シーズン3試合目のウォリアーズ戦でダンクの着地に失敗し、足を骨折。64試合欠場。オールスターにはファン投票で選出も、ケガのため欠場。 |
1986年 | 4月20日 セルティックスとのプレーオフ1回戦第2戦で、プレーオフ記録の63点をマーク。試合後、相手のラリー・バードが「まるで神がマイケル・ジョーダンの姿を借りて、舞い降りてきたようだった」とコメント。「神様」伝説始まる。 |
1986−87年 | オールスター前夜祭のスラムダンクコンテストで優勝。NBA史上3位の年間3,041点をマーク。平均37.1点で初の得点王。オールNBAファーストチームに初選出。 |
1987−88年 | 2年連続でオールスターのスラムダンクコンテスト王者。得点王、年間MVP、守備MVP、オールスターMVPを獲得。NBAオール守備ファーストチームに選出。プレーオフでは「バッド・ボーイズ」のピストンズの敷いた「ジョーダン・ルール」に苦しみ、カンファレンス準決勝で敗退。 |
1988−89年 | 平均32.5点で得点王 |
1989−90年 | 3月28日のキャバリアーズ戦で自己ベストの69点マーク。年間33.6点で得点王 |
1990−91年 | ファイナル初制覇。年間MVP、ファイナルMVPを獲得。年間31.5点で得点王。 |
1991−92年 | ファイナル連覇。年間MVP、史上初の2年連続ファイナルMVPに選出。平均30.1点で得点王。 6月3日のTブレーザーズとのファイナル第1戦で、ファイナル記録の前半35点をマーク。ヒートとの1回戦3試合では、プレーオフ記録の通算135点(平均45点)の高得点でスイープ。バルセロナ五輪で金メダル獲得 |
1992−93年 | 平均 32.6点で7年連続得点王。ウィルト・チェンバレンとともにNBA記録に並ぶ 。史上2番目に早く通算2万得点を突破。93年6月20日、バークレーのいるサンズとのファイナル6戦で平均41得点のファイナル最高をマークし、ファイナル3連覇。史上初めて3年連続ファイナルMVPを受賞。 |
1993年 | 8月3日 父ジェームズさんが遺体で発見される。7月23日に2人の男に射殺されていた。 |
10月6日 突然の引退発表。「バスケットボールでやり残したことはない」 |
12月 父の遺志を継ぎ、メジャーリーガーに挑戦。シカゴ・ホワイトソックスのトライアウトに挑戦 |
1994年 | 2月7日 ホワイトソックスと契約。春季キャンプに参加。 |
3月31日 ホワイトソックス傘下の2Aバーミンガム・バロンズで野球人生スタート |
4月8日 プロ野球選手として、初めて試合出場。 右翼を守る。このシーズン127試合に出場し、通算打率2割2厘、51打点、30盗塁。114三振だった。 |
9月9日 ブルズの旧本拠地シカゴスタジアムの最後の試合として開かれたチャリティーゲームに参加し、52点をマーク。ジョーダンはコート中央に描かれたマスコットにひざまずき、キス |
9〜11月 アリゾナ秋季リーグに参加。スコッツデール・スコーピオンズの一員として35試合出場、打率2割5分2厘 |
11月1日 新本拠地ユナイテッドセンターの入口にジョーダンの銅像が建てられ、ジョーダンの背番号「23」がブルズの永久欠番となる |
1995年 | 3月2日 メジャーリーグのストライキに嫌気がさし、野球界から引退を表明 |
3月7〜9日 ブルズのトレーニングルームに姿見せる。 |
3月18日 「I'm back」の言葉とともに、NBAへの復帰を表明。 |
3月19日 中学時代とバロンズでつけていた背番号「45」のユニホームを着て、ペーサーズ戦で復帰。38分間プレーし、19点、6リバウンド、6アシストで96−103で敗れた。 |
5月18日 プレーオフのカンファレンス準決勝でマジックに敗退。 |
10月29日 NBA史上、偉大な50選手に選出 |
1996年 | 6月16日 Sソニックスを下し、復帰後初のファイナル制覇。父の日に優勝を果たし、ジョーダンはトロフィーを抱えながら号泣。ブルズは年間72勝(10敗)の記録をマーク。ジョーダンは8度目の得点王。年間MVP、オールスターMVP、ファイナルMVPの3冠を達成 |
9月9日 ナイキのプロモーションで初来日 |
11月30日 通算2万5,000得点突破 |
1996−97年 | 2年連続、通算9度目の得点王。ジャズを倒しファイナル連覇、5度目の頂点に到達し、2年連続ファイナルMVP |
1997−98年 | 「ラスト・ショット」。 6月14日のファイナル第6戦、試合終了間際、マローンからボールを奪い、決勝ゴールを決めて2度目の3連覇達成。3年連続、通算10度目の得点王。年間MVP、オールスターMVP、ファイナルMVPを受賞。98年3月8日、ニューヨーク最後の試合で「エア・ジョーダン1」を履いて出場。4月3日のTウルブズ戦では、41点を挙げ、史上3人目の通算2万9000点突破。 |
1999年 | 1月13日 2度目のNBA引退を表明。「99.9%復帰することはない」 |
12月26日 ベーブ・ルースを破り、ESPNの選ぶ20世紀最高のアスリートに選ばれる |
2000年 | 1月19日 ウィザーズの共同オーナーとなり、球団社長に就任。NHLキャピタルズの株式も取得 |
2001年 | 9月10日 「私は今でもゲームを愛している」と復帰をほのめかす発言 |
9月25日 3年半のブランクを経て、ウィザーズと2年契約を結び、2度目の現役復帰を表明。「バスケットボールに対するむずがゆさが残っている。愛するゲームのために復帰する」 |
10月30日 シーズン初戦のマジソンスクエアガーデンでのニックス戦で復帰。19点に終わり91−93で敗れる。 |
2002年 | 4月3日 ジョーダン右ひざ痛で故障者リスト入り。復帰1年目のシーズン終了。チームもプレーオフ進出ならず。 |
2002−03年 | 最後のシーズンも、プレーオフ進出できなかった。4月16日、フィラデルフィアで76ersと現役ラストゲーム。15点で87−107で敗れた |