2016年リオデジャネイロ・パラリンピック女子マラソン(視覚障害T12)の銀メダリスト、道下美里(41=三井住友海上)は、40歳をすぎてなお進化を続ける“小さな巨人”だ。昨年12月の防府読売マラソンで2時間56分14秒の世界記録を樹立。今年の同大会では2時間53分台での記録更新を目指している。不屈のエネルギーの源は「悲願の金メダル」と「絆の力」にあった。

 

144センチ、36キロの小さな体に、屈託のない笑顔。まるで少女のような道下が、さらりと言った。「今日も朝38キロ走ってきました。地元福岡の大濠公園。1周2キロを16周しました」。練習後に日帰りで上京してトークイベントや取材を精力的にはしごした。あのマラソン解説者の増田明美さんが彼女を“小さな巨人”と呼ぶ理由がよく分かった。

銀メダルを獲得した16年リオデジャネイロ・パラリンピックでは、表彰台でポロポロと涙を流した。「優勝者のスペイン国歌を聞いて、私が聞きたかったのは日本の国歌だったと思うと、悔しさがこみあげて」。帰国後、43歳で迎える20年東京大会での雪辱を決意。昨年は徹底してスピードを強化して、12月に従来の記録を2分以上も更新する世界新記録をマークした。

角膜の病気で中2で右目を失明し、左目の視力も0・01以下で光が分かる程度。そんな彼女を支えているのが市民ランナーたちだ。「20代から70代まで、1週間の練習で12人の方に伴走してもらっています。歯医者さん、美容師さん、営業マン…さまざまな人に支えられています」。その絆の力も走り続けるエネルギーになっている。

今年12月の防府読売マラソンでは自身の記録を2分以上上回る2時間53分台を狙っている。「昨年のスピード練習でストライドが大きくなった。このストライドを維持したまま、持久力を養っていく練習をしています。そのために週2回だった体幹トレーニングを3回に増やしました」。手応えは感じている、そう顔に書いてあった。

視力を失って運動不足になった。山口県立盲学校(現下関南総合支援学校)入学後、伴走者がいれば走れることを知り、ダイエットを兼ねて走り始めた。そこから人生に光がさした。「パラに出合って私の人生は変わった。だから東京大会をきっかけに世の中も変わってほしい。ささいなことでいい。街で視覚障がい者を見かけたら声をかけるとか、そんなきっかけになってほしい」。道下には金メダルの向こう側にそんな風景も見えている。【首藤正徳】

◆道下美里(みちした・みさと)1977年(昭52)1月19日、山口県下関市生まれ。中2の時、角膜の機能が低下する病気で右目を失明。左目も発症して視力は0.01以下になった。26歳で陸上を始め、31歳でマラソン転向。14年に2時間59分21秒の日本記録(当時)を樹立。16年リオデジャネイロ・パラリンピックで銀メダルを獲得。趣味は温泉巡り。好きな食べ物はすし。血液型O。家族は建築士の夫孝幸さん(43)。

 

<伴走者の河口さん、第2の陸上人生謳歌>

道下と同じ三井住友海上の九州本部に勤務する河口恵さん(23)は週3日、道下の練習の伴走者を務めている。

もともと三井住友海上女子陸上競技部の長距離選手だったが、引退後の16年3月に東京から地元福岡に戻ったことがきっかけで、道下の伴走者を始めた。

「最初はこの競技のことを知らなくて、歩幅もピッチも違って、声掛けのタイミングもつかめなかった」と振り返る。それが今では一体となって走る喜びを感じるようになったという。「路面の状態やカーブを曲がるときに指示を出します。1人で走る時より苦しさも倍になりますが、それ以上の達成感がある。今は自分のレースにも出ています。また陸上が楽しいと思えるようになりました」。

道下と出会ったことで、第2の陸上人生を謳歌(おうか)している。