21年東京大会を含め、パラリンピックで4個の金メダルを獲得した車いすテニス男子の国枝慎吾さん(39=ユニクロ)が17日、首相官邸で行われた国民栄誉賞表彰式に出席した。1977年の賞創設以来28例目。4大大会(グランドスラム)完全制覇とパラの金を合わせた「生涯ゴールデンスラム」でパラ選手としては初の受賞者となり、岸田文雄首相から記念盾などを授与された。

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車いす製造会社のオーエックスエンジニアリングで営業部主任を務める安大輔さん(48)は、国枝さんが使用する競技用車いす「TRZ」の設計を約20年にわたり担当してきた。“二人三脚”で歩んできた挑戦の数々。国民栄誉賞の受賞を喜ぶとともに、引退後も前へ進み続ける国枝さんへのサポートを約束した。

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出会いは03年、国枝さんが19歳の時だった。「きゃしゃだな」。大柄な先輩選手の紹介で同社を初めて訪れた際のそんな印象は、打ち合わせを重ねる中、あっという間に消えていった。

強みは自己分析力だという。最適な座面の高さや車輪の角度、旋回性、安定性…。フィットする車いすを求めて試行錯誤する選手が多い中、国枝さんはベストなセッティングを自身で素早く導き出し、約4年でほぼ現在のポジションにたどり着いた。

「普通の選手は理想を求めて車いすの寸法を変え続け、どんどん(合う形が)分からなくなってしまうことが多い。でも彼には、常に戻れる設定があった」

新たに提案しても、試乗で合わなければ10分で断られた。反対に向上の予感があれば、数カ月から半年かけて体になじませ、採用するほどのこだわりだった。

これまで製造した車いすは13機。その中で、右肘のケガから再起をかけた17年に提案されたアイデアは、安さんにとって「最大の挑戦」だったという。求められたのは、車いすテニスでは珍しい太ももから尻を包み込むような「バケットシート」の導入。尻の型を取って車いすとの間に隙間をなくし、操作性の向上を図りたいという要望だった。

製造面の課題が「挑戦」だったわけではない。「一般客もアスリートも同様のサービス・材料・工程で製造したものを提供する」という同社のポリシーに相反した。「とうとう、お別れか」と頭を抱えたが、国枝さんの競技に対する真摯(しんし)な姿勢と謙虚な態度が道を切り開いた。「人を、テニスを、本当に大切にしている彼だからこそ会社が特別に認めた。挑戦して克服したということに意味がある。やって良かった」。翌18年、国枝さんは「バケットシート」で全豪オープン優勝。3年ぶりに4大大会を制した。

最大の武器であるチェアワークを支え続けた20年。安さんは「一緒に成長できて楽しかった」と誇らしい顔で言った。これからもスポーツの発展を願い、活動を続ける男をサポートする思いは変わらない。「国枝君、これからも一緒にパラスポーツを盛り上げていきましょう」。【勝部晃多】

◆株式会社オーエックスエンジニアリング 1988年(昭63)10月に設立し、バイクのエンジン開発など開始。92年3月に日常用車いすの販売を始めた。95年10月に車いす・福祉機器専門会社に完全業種転換。本社は千葉県千葉市若葉区中田町2186の1、石井勝之代表取締役社長。