【大嶺祐太の野球人生】ラストは大好きな石垣島で 大好きな八重山商工の仲間と/後編

ロッテ、中日で活躍した大嶺祐太さん(34)が、昨年限りで現役を引退しました。沖縄・石垣島の出身。島にある八重山商工高から春夏連続で甲子園に出場した〝島人の宝〟は今、東京の繁華街で日々、汗を流してます。山あり谷あり。いろいろあった野球人生を、知られざる秘話とともに振り返ります。全3回の、今回は後編。

プロ野球

◆大嶺祐太(おおみね・ゆうた)1988年(昭63)6月16日、沖縄・石垣市生まれ。八重山商工から06年高校生ドラフト1巡目でロッテに入団。22年は中日に移籍し、育成選手でプレー。同年限りで現役を引退した。通算は先発、救援で129試合に登板し、29勝35敗1ホールド、防御率4・72。184センチ、80キロ。右投げ左打ち。

石垣市中央運動公園野球場

見上げた曇り空に、大嶺祐太最後の1球が溶けていく。一片たりとも悔いはない。投手、卒業。帽子を脱ぎ、最後に対した球友にほほ笑みかける。

「打たれる抑える関係なく、最後に対戦できたことが良かったです」

22年12月30日、石垣市中央運動公園野球場。引退試合が催された。06年の甲子園を沸かせた八重山商工ナインが集結。ライバル的存在だった浦添商OBを中心としたチームと戦った。

故郷石垣島で引退登板をした大嶺祐太さん(前列中央)=22年12月

故郷石垣島で引退登板をした大嶺祐太さん(前列中央)=22年12月

背番号1のピンストライプ。島を巣立ってしばらくまとった懐かしいユニホーム。軟球での試合でただ1人、硬球で対決した。今もなお、沖縄電力で硬式野球を続ける唯一の同級生、金城長靖さん。

「自分の中ではもう本当に、それが最後って気持ちです」

本文残り79% (2159文字/2717文字)

1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。