【森祇晶】大谷翔平と金田正一 尋常ではなくハンパではないユニコーン/連載〈Ⅰ〉

侍ジャパンが14年ぶりに世界一を奪回してから47日。歓喜の記憶は多くの人の心にいまだ鮮明に刻み込まれている。昭和の名捕手であり、平成の名監督である森祇晶氏(86)は、令和初のWBCと侍ジャパンの世界一をどう見たのか。同氏へのインタビューを3回にわたってお届けします。1回目は大谷翔平選手と400勝投手・金田正一氏(故人)との意外な「共通点」に着目しました。

プロ野球

◆森祗晶(もり・まさあき)現役時代の登録名は森昌彦。1937年(昭12)1月9日、大阪府生まれ。岐阜高で甲子園出場後、55年巨人入団。V9時代の正捕手で8年連続ベストナイン。67年日本シリーズMVP。74年引退。通算1884試合、1341安打、81本塁打、打率2割3分6厘。78年からヤクルト、西武のコーチを経て86年に西武監督に就任。9年間で8度リーグV、日本一6度。01、02年は横浜(現DeNA)の監督を務めた。正力松太郎賞2度、05年野球殿堂入り。現役時代は174センチ、84キロ。右投げ左打ち。

福岡市内でインタビューは行われた。ダンディーさは変わらず=2023年4月

福岡市内でインタビューは行われた。ダンディーさは変わらず=2023年4月

▼大谷翔平と金田正一…森氏が指摘した共通点とは。重鎮の貴重なインタビューをお楽しみ下さい!▼

キャンプで特製の鍋料理を作る金田正一氏。自室の縁側? 時間は? テーブルの上にある「KIRIN」の缶は…情報量が満載の1枚だ=1964年2月

キャンプで特製の鍋料理を作る金田正一氏。自室の縁側? 時間は? テーブルの上にある「KIRIN」の缶は…情報量が満載の1枚だ=1964年2月

鹿児島・湯之元キャンプ、早朝散歩中の一コマ。おもむろに木材を担いでトレーニング=1964年2月

鹿児島・湯之元キャンプ、早朝散歩中の一コマ。おもむろに木材を担いでトレーニング=1964年2月

キャンプの休日、地元の漁師に連れられてカモ撃ちに挑戦する金田氏=1964年2月14日

キャンプの休日、地元の漁師に連れられてカモ撃ちに挑戦する金田氏=1964年2月14日

「存在そのものだよ」

――森さんは今回のWBC日本戦をすべてテレビ観戦されました。率直な感想をお聞かせください

森祗晶氏(以下敬称略)最高の結果を残したのだから、本当に素晴らしい。

――世界一の要因は

もちろんいくつかあるが、最も大きい要素が大谷翔平であったことは、誰もが認めるところだろう。ただ、今回のWBCの最大の意義はそこではないと思う。

球史に刻まれるであろう、準決勝メキシコ戦の逆転サヨナラ劇。先頭で出塁した大谷が二塁に駆ける際に脱ぎ捨てたヘルメットは、野球殿堂博物館に展示された=2022年3月21日

球史に刻まれるであろう、準決勝メキシコ戦の逆転サヨナラ劇。先頭で出塁した大谷が二塁に駆ける際に脱ぎ捨てたヘルメットは、野球殿堂博物館に展示された=2022年3月21日

――大谷の活躍ではないと

存在そのものだよ。そりゃ、プレーだって大きいよ。メキシコ戦だって、9回に大谷が出塁しなかったら逆転サヨナラ勝ちできたかどうか。でも、結果だけではない。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。