【森祇晶】「目立とう」「俺が進言したから優勝」一切なし 無我の境地に/連載〈Ⅱ〉

昭和の名捕手であり、平成の名監督である森祇晶氏(86)は、令和初のWBCと侍ジャパンの世界一をどう見たのか。同氏へのインタビューの2回目です。栗山英樹監督の采配やチームマネジメント、ダルビッシュ有投手や山川穂高内野手ら、ベテラン選手の振る舞いについて論じます。

プロ野球

◆森祗晶(もり・まさあき)現役時代の登録名は森昌彦。1937年(昭12)1月9日、大阪府生まれ。岐阜高で甲子園出場後、55年巨人入団。V9時代の正捕手で8年連続ベストナイン。67年日本シリーズMVP。74年引退。通算1884試合、1341安打、81本塁打、打率2割3分6厘。78年からヤクルト、西武のコーチを経て86年に西武監督に就任。9年間で8度リーグV、日本一6度。01、02年は横浜(現DeNA)の監督を務めた。正力松太郎賞2度、05年野球殿堂入り。現役時代は174センチ、84キロ。右投げ左打ち。

栗山監督は不振の村上を信じて打たせ、サヨナラ打という最高の結果を引出した。準決勝メキシコ戦の9回無死一、二塁の場面から、話題は組織論へと発展していく=2023年3月20日

栗山監督は不振の村上を信じて打たせ、サヨナラ打という最高の結果を引出した。準決勝メキシコ戦の9回無死一、二塁の場面から、話題は組織論へと発展していく=2023年3月20日

「間違いなく打たせていた」

――栗山監督は、準決勝メキシコ戦の9回裏無死一、二塁で、そこまで4打席無安打3三振の村上をそのまま打たせました。この采配についてどう思われますか

森祇晶氏(以下、略)打たせるだろうな。左バッターだから引っ張って走者を進めることもできるし、やっぱり日本の3冠王だよ。

――バントで送って二、三塁という選択肢は

バントで送るなら代打を出すことになるが、相手にバントと知らせるようなもの。その中で成功させるのは非常に難しい。秋山、清原、デストラーデがいた時代の西武で同じ局面だったら、間違いなく打たせていた。

当時の森監督は秋山―清原―デストラーデの中軸に全幅の信頼を置いていた。村上の送りバントは即座に否定

当時の森監督は秋山―清原―デストラーデの中軸に全幅の信頼を置いていた。村上の送りバントは即座に否定

――結果論ではなく、采配として正しいと

村上の打撃を思い出してみよう。決して強引にならず、センター方向に打ち返した。なぜ、そういう打撃ができたか。つなぐ意識があったからだよ。言い換えれば「俺が俺が」という意識が希薄だったからこそ、最高の結果になった。

――どういうことでしょう

本文残り58% (1147文字/1985文字)

1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。