【片伊勢武アミン〈下〉】憧れた2人のように キラキラ輝く自分でありたい

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第21弾は、片伊勢武アミン(19=関大)を取り上げます。2023-24年シーズンからシニアに転向し、23年11月にはグランプリ(GP)シリーズに出場するなど着実にステップアップを続けるホープです。全2回の下編では、スケート人生で初めて直面した挫折の日々から、そこから立ち直ったきっかけ、未来を見据える瞳に映るものについて描きます。(敬称略)

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フランス杯でSPの演技をする片伊勢(ロイター)

フランス杯でSPの演技をする片伊勢(ロイター)

昨年振り返り「一番きつい年だった」

2022年-。北京冬季五輪も開催されたその年は、スポーツが日本中を熱狂の渦に巻き込んだ年だった。

エンゼルス大谷翔平が、ベーブ・ルース以来104年ぶりとなる「2桁勝利、2桁本塁打」を達成。サッカー日本代表がW杯カタール大会でドイツ、スペインと強豪を次々と撃破した。フィギュアスケート界も例外ではなく、グランプリ(GP)ファイナルでは三浦璃来、木原龍一組が日本ペアで史上初となる金メダルを獲得。翌年2月にも日本勢で初めて4大陸選手権を制した「りくりゅう」フィーバーは、コロナ禍で鬱積(うっせき)した国民の不安を払拭(ふっしょく)するかのように、日本中に勇気と感動を与えた。

片伊勢にとって、ジュニア最終年となったこの2022-23年シーズン。関大に進学して1年目を迎えたホープにとっても、一生忘れることのできないシーズンを過ごすことになった。

22年10月、ポーランド・グダニスクで行われたジュニアのGPシリーズ初戦。自己最高となる合計234・24点を記録し、初優勝を飾った。これ以上にないスタートを切ると、同月にイタリア・エーニャで行われた第2戦では銅メダルを獲得。12月にイタリア・トリノで開催されたファイナルにも出場を果たした。

はたから見ると、順風満帆にステップアップを重ねたシーズンだったように見えるだろう。しかし、1年を戦い終えたとき、19歳の心の中にはこれまでに経験のない、葛藤という名のモヤモヤが渦巻いていた。

「一番きつい年だった」と言う。それは、ただ、スケートが楽しいと一心に滑ってきた13年間で、初めて感じた苦痛の味だった。

前年、高校最後の全日本ジュニア選手権で過去最高の4位になり、高校3年の時にはインターハイで優勝したが、これまで世界を相手に戦ったことはほとんどなかった。ジュニアに上がり、初めて強化選手になれたのも高3年になってからだった。

一気に訪れた環境の変化。与えた影響は、少なくなかった。

「それまで海外試合とかにも一切出場していなかったのに、急に海外の試合とかファイナルとかが決まり、自分が全然想像してなかったような場所に行ってしまった感じがあった」

22年の全日本ジュニア選手権、フリーの演技を終え、浮かない表情を見せる片伊勢。2位に終わった当時を「すごく落ち込んでいた」と振り返った

22年の全日本ジュニア選手権、フリーの演技を終え、浮かない表情を見せる片伊勢。2位に終わった当時を「すごく落ち込んでいた」と振り返った

着実に。1歩ずつ。日進月歩。

それまでのスケート人生を形容するとすれば、どちらかと言えばそんな言葉が似つかわしかった。目まぐるしい毎日を経験し、「自分が期待するものとかもどんどん大きくなっていって…」。初めてのことばかりに戸惑い、自分を見失いそうになることもあった。

そんな思いが顕著に表れたのが、11月に茨城県ひたちなか市で行われた全日本ジュニア選手権だった。

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市出身。小学生時代はレスリングで県大会連覇、ミニバスで全国大会出場も、中学以降は文化系のバンドマンに。
2021年入社。スポーツ部バトル担当で、新日本プロレスやRIZINなどを取材。
ツイッターは@kotakatsube。大好きな動物や温泉についても発信中。